ララミー牧場

「ララミー、ララミー、空は青く、白い雲」と唄いだす主題歌とともにキャストが紹介される。曲が終わると「Laramie」と書いた牧場の看板が硝煙とともに消えてドラマが始まる。2008年6月12日付のデーリースポーツ紙に載った中谷勝さんの「替え歌シニア版」を読んで、すぐこの独特の出だしが目に浮かんだ。

ストーリーは、駅馬車の中継点ララミーにたどり着いたロバートフラー扮するジェスパーカーという流れ物の若者が、拾ってくれたスミス牧場の主人とともに、悪漢どもが引き起こす悪行や苦難に立ち向かうという単純さだ。二人がワル共を倒して正義を護りぬくシリーズを毎回、胸のつかえの下がる思いで観たものだ。

いま団塊世代以上の年配の人なら多分誰でも記憶があろう。白黒テレビの人気番組「ララミー牧場」が一世を風靡したのは昭和30年代だった。当時のテレビ番組は「ララミー牧場」のほかに「シャイアン」や「ダッジシティ」など、中西部大平原を背景にしたドラマが目白押しだった。

以来、ララミーやシャイアンに一度は行って見みたいと願って幾星霜。ついにアイオワからハワイへ移住の途上その機会が訪れた。デンバーから120キロ北に走ったシャイアンで一泊。陽が沈むとコヨーテの遠吠えが聞こえる。なんとも物悲しい。翌朝、朝飯は50キロ西のララミーでと5時に起きる。昔ジェスパーカーが通った食堂でコーヒーをと夢見ながらクルマを走らせる。

意に反し、高速道路を降りた大通りにはマクドナルドが1軒あるだけ。マックのコーヒーを飲みながら「まさか150年も前にジェスパーカーが、このマックで朝飯なんぞ喰わへんかったやろなあ」とカミさんとぼやくことしきり。街を一周すると、かつての駅馬車中継地は、今はトラックの中継基地。ずらりと並んだトラックの横を、枯れ草だけが昔のまま風に吹かれて玉となり、カサコソと転がっていく。なんともうら淋しくて、来なければ夢破れずに済んだものをと悔やんでみるが後の祭り。

(出典: デイリースポーツ 2008年6月26日)

老人医療保険

ニッポンはいま高齢者の医療問題で大揺れだ。新しく制定した老人健康保険の掛け金を、75歳を超えた老人の年金から強制的に徴集するという暴挙がたたって、与党は国政のみならず市政選挙でも敗北。市民の怒りは収まらない。本人の承諾もなしに命の綱の年金から掛け金をかすめとるなんて、まるで近隣の圧政国家の仕打ち、個人の自由尊重をかかげる憲法に違反しているのではないか。コンピュータの前に座って数字合わせだけで善しとする行政企画者には、人の気持ちを読むことは出来ない。

米国のメディケアと呼ぶ老人健康保険は1965年に発足した政府管掌保険だ。全国民は収入に応じてメディケア税とよぶ使途限定税を納める。65歳になると納税の有無にかかわらず老人保健の庇護をうける。老人保険がカバーするのは原則として入院治療費。定額の自己負担額800ドル余りを支払うと、入院3ヶ月までの医療費はどんなに高額な手術や検査をしてもすべて保険がカバーするから入院料を含めて自己負担は一切不要である。

自己負担の比率が高いニッポンの老人保健との違いは外来診療のカバーが薄い点だ。診察料、検査料、薬剤費の限られた部分は保険が負担するが、残りは自費で支払うか、別個に加入する第2、第3の私的健康保険でカバーする。入院加療を厚く、外来診療を薄くカバーという特徴をもっている。その根本理念は、病人一人ひとりに莫大な費用がかかる重病の入院治療は保険で、総和すると膨大な額になる外来診療費は原則個人負担でという区分けだ。

ニッポンの総医療費は33兆円といわれている。人口が約2倍の米国では150兆円。額にするとニッポンの5倍、人口比で2.5倍だ。その150兆円の約半分は老人の医療費だ。それでも政府は余生に限りある老人に負担を求めたりはしない。資金が足りなければ次世代から集め、次世代は次々世代に受け継ぐのが保険の本質ではないのか。

(出典: デイリースポーツ 2008年6月19日)

『とりあえず』

「何になさいます?」「とりあえずビールを頂戴」「はい、すぐお持ちします」先日旧友と一杯飲んだ店の女性との会話だ。同じ会話は全国各地で毎晩何万回と繰り返されていることだろう。
とりあえずビールの『とりあえず』って英語ではどない言うねん?」友に尋ねられ絶句。適当な訳が見当たらぬ。『とりあえず』の替わりに『一応』というのもある。両方とも決断しかねる場合に使われる意味不明語だが、聞き手には「あうん」の呼吸でわかる。日常の会話では意味不明でもかまわないが、重篤で危急の状況で使われると問題だ。

たとえば船のブリッジを仕切る人が「船長、左舷に漁船発見!」「よし、とりあえず面舵30度」とは言えない。旅客機のコックピットで「キャプテン、右30度に機影接近!」「ラジャー。一応左に旋回急下降せよ」というのもまずい。ボイスレコーダーに残ると困ったことになる。

つい先日ある病院で研修医の症例検討会に出席した。45歳も年下の孫のような研修医が病人の治療経過を報告し出席者全員から批判と意見を仰いで糧とする勉強会だ。若いセンセ「この時点でとりあえずレントゲン写真を撮りました」に続いて「とりあえず入院してもらい経過観察することにしました」「検査のあと、とりあえず点滴をして一応様子を見ることにしました」「翌日症状軽快したのでとりあえず退院してもらいました」と報告。聴いていると決断出来ずに腰が退けているのが見て取れる。

「キミの報告を聴いていると、『とりあえず』の応急処置だけで、本格的な診断治療を先送りした印象を受ける。病気の治療には厳しい選択と決断が必須だ。『とりあえず』や『一応』で治療される患者さんの立場に立って考えてごらん。その心情が判るだろう。『とりあえず』で済ませるのはビールだけにしておけよ」と苦言。判ってくれたかな?

(出典: デイリースポーツ 2008年6月12日)

貧しい国ニッポン

20年前NYからアイオワ大学に移って間もないころのおハナシ。4歳のジミー坊やは生まれつきのヘルニアの診察に大学病院を訪れた。ウエイトレスをしているママは20歳のシングルマザー。ママの収入が祖母との3人暮らしを支えている。診察が終わり手術日も決まった時点で、ついてきた民生委員のベッキーさんの説明を聞いて、はじめて家に電話もないほどの困窮家庭とわかった。「ドクター、家に電話をつけましょうか?」ベッキーさんの質問を理解しかねていると、ナースのローラが「医療連絡のために生活保護の費用で電話をつけるそうです。イエスと答えてください」とコーチしてくれた。手術は無事終わり, ジミーは当日の夕方自宅に帰った。翌日からローラはジミーの家に毎日電話をかけて病状を把握する。1週間後にジミーは元気になりローラの電話リストから外れたが電話はそのまま。

医療保護の基準は州毎に違うが母子家庭で月収800ドル(約8万円)以下というのが一般的だ。アイオワ州民の被保護者にはボランティアの民生委員が手続の一切をしてくれる。非保護者の認定を受けると医療費は一切タダ。必要なら家に電話も引き、仕事を休めば給料を同額補償、病院までの交通費は全額支給、マイカーなら病院通いのガソリン代を支給。病院の診療では、他の患者との差別は一切なし。それでも他の患者からの文句はまったくでない。

健康保険を持っていない患者と併せると、アイオワ大学病院入院患者の5人に1人は医療費の支払いが不可能な人たちだ。だが、全員が世界最高レベルの診療をほかの患者と変わりなく受けている。米国では健康保険を買えない4千万人の人たちが医療を受けられないという報告は正しくない。

先月ニッポン政府は、生活保護家庭の医療交通費支給を打ち切ると宣告した。この国が、被生活保護者の医療交通費のカネも出せないほど貧しいのなら、他国へのODAなど止めたら如何?政府は自国民を護るのが先だろう。それとも貧しいのは役人の心?

(出典: デイリースポーツ 2008年6月5日)