長年外科医をしていると、普通の人の暮らしでは遭遇することのない冷酷無情で絶望的な状況を体験する。
止めようのない大出血の患者が、輸血用の血液が間に合わなくて息を引き取ることもある。一人で当直をしているとき数人の負傷者が同時に運ばれて来ることもある。ただちに応援を呼び、負傷の程度によって順番を決め、一人ずつ手当てをしていたら、応援が間に合わず、残りの患者が悪い結果になったなどという不条理だ。ガン切除手術の最中、大血管近くの際どい箇所を剥離中に引けず進めずどうにもならぬという状況に追い込まれることもある。
いずれも人間の対応能力を超えた状況であり結果は誰のせいでもないのだが、後味の悪さは体験した者でないと判らない。こんな絶望的状況が重なり、恐怖の記憶が蓄積し膨張していくと、ある日破滅が訪れる。手術台の側に立つと、えも言われぬ恐怖感に体中が震え、皮膚から汗が噴出し、冷静な思考力や判断力を失い、自らの感情を制御することが出来なくなる。重症の「ポストトラウマ症候群」だ。これに罹るともはや外科医としては機能しない。ストレスの重みに耐え切れず、診療が生死に関らぬ科に転科した外科医を今まで何人も見てきた。他の科に転科した人たちが脱落者だというのではない。むしろ普通の感性の持ち主であるという証しだろう。
医師になる過程では膨大な量の医学知識を記憶しなければならぬ。それには大容量のメモリーを備えた頭脳の持ち主でなければ耐えられぬ。「医者になる気なら記憶力を養え」と幼少の頃から鞭打たれてきたのには、そう言うワケがあるのだ。だが、ひたすら記憶力だけを養い続けると、先に述べたような悲劇を招く。
人には誰にでも辛く悲しい思い出がある。それに浸ったままでは生きてゆけない。苦悩や恐怖を忘れ去るには、膨大なエネルギーの強い忘却力が要る。心の葛藤を押さえ込み、悲しみを忘れ去ることはそれほど辛く難しい。だが悲しみを忘却の彼方へと置き去り、そこを基点として前進することが、明日への希望を呼ぶ唯一の途だ。
大災害のもたらした辛く悲しい思い出はおいそれと忘れられる筈がない。だがもう忘れよう。そして前進しよう。
(「雪」2005年5月号 阪神淡路大震災から10年―伝えたい思いに加筆)