歩道を走る自転車は大阪の恥

「来る途中の交差点で自転車に乗った人を轢くところでした。とても恐ろしゅうございました」テーブルにつくなりお絞りを手にしたTさんが芦屋からの道中体験したニアミスを語ってくれる。場所は大阪で行きつけのイタリア料理「ドンキショッテ」。Tさんファミリーと出合ったのもいまの淡路町に移転したあとのこの店だった。

「左折のシグナルを出しているのに、それを無視して信号が変わったとたん、わたしの左側を直進するのですから避けようがありませんわ」
「でもご無事でなによりでしたね。大阪に住んであきれたのは自転車が我がもの顔で歩道を通ることです。後ろから音もなく近づいてきて猛スピードで側を通り抜けるのですから、安心して歩くこともできません。少しでも身体に触れたら数億円の損害賠償訴訟を起こしてやろうと考えているところです」
「センセ、それは無駄ですわ。相手はお金のない若者ですもの」
「いえ、金銭が目的ではありません。高額の訴訟で世間の注目を集めて規制法設定への問題提起とするのです」
「でも莫大な訴訟費用がかかりますわよ」

議論が白熱してくるとシェフが丹精込めた料理の味もどこへやら。定番のネロという銘柄の赤ワインの香りも鼻息で吹き飛んでしまう。

「今朝も片手にした携帯メールを見ながら信号無視で突進してきた若い女性の自転車に当たりそうになりました。この子はミニスカートのすそがめくれ上がって花模様の下着が丸見えなのに知らん顔。あられもない姿でサドルにまたがったままメールに熱中しているのです。オンナをこれほど夢中にさせるメールには一体何が書いてあるんやろと興味を持ってしばらく眺めていました」
「センセ、メールよりも花模様に興味がおありだったのではございません?」

オンナも熟女になると惻隠の情を欠くので困る。

(出典: デイリースポーツ)

沖縄で見つけた宝物

今から10年ほど前のことだ。アイオワ大学で親代わりを勤めたニッポンの女子学生が教育学部に学ぶアメリカンの青年と恋に落ちた。卒業と同時に青年は沖縄離島の英語教師に応募し、二人は南の離れ小島で数年を過ごした。その後米国で教育学修士号を取得した青年は嘉手納基地の米国軍人子弟学校の教師に採用され、二人は再び沖縄に戻ってきた。2年前の秋沖縄で3ヶ月を過ごした折、久しぶりに二人と再会する機会に恵まれた。

那覇市内の住まいを訪れると4人の子どもたちと一緒に暖かく迎えてくれた。子ども達は一番上が小学校1年生、間に2人を入れて一番下が1歳になったばかり。半分アメリカンの顔をした子等から「こんにちわ。いらっしゃい」と正統ニッポン語の挨拶を受けると不思議な気持ちがする。この家の公用語はパパと話すときは英語、ママとはニッポン語だそうだ。こども同士の会話には英語とニッポン語が混じりあう。

「いつ着いたの?」「ハワイと沖縄を比べるとどっちが暑い?」「食べ物は何が好き?」「沖縄にはいつまでいるの?」好奇心旺盛な子ども達は訪れた家内とわたしを質問攻めにする。ふと気づいてみるとこの家の子ども同士や両親との間で交わされる会話の量は並外れて多い。両親は子ども等の質問を煩さがりもせず一つ一つ丁寧に答えてやっている。

「子ども達が礼儀正しくて好奇心旺盛な裏にはなにか秘訣があるの?」「たぶん我が家にはテレビがないからでしょ」とパパが答える。「テレビにのめり込むと人と対話しなくなります。それに今のテレビ番組は下品で愚劣で、子ども達が学ぶものは殆どありません」さすが教育学修士のパパ、視点が鋭い。独自の価値観を持つ両親に育てられた子どもたちは、沖縄で見つけた宝物だった。

(出典: デイリースポーツ)

続 レトロな民間サービス業

早朝外にでると肌にあたる風が日ごと冷たさを増し秋の深まりが感じられる。四季のないハワイの住民には貴重な感覚だ。上高地ではすでに紅葉がはじまっているという記事を読んで急に探訪を思い立ち、早速ガイドブックで見つけた宿に予約の電話をかけてみた。

北アルプスを一望にする山間のホテルには和室と洋室があり、食事も会席膳とフランス料理のどちらかを選べるという。食事付の温泉旅館は料理の品数だけを競う愚かしさが嫌で避けてきたのだが、ついにニッポンも選択を尊重する時代になったかと感激し「ボクはフランス料理、家内は和食にしてください」と頼むと「それは出来ません」という。「どうして?」「和食とフランス料理をお出しする食堂は別なので、お二人別々に分かれてのお食事になりますがよろしいですか?」「それは困るよ。どうにかならないの?」「ご一緒に食事をされるのでしたら、和食かフランス料理のいずれか、お二人同じものを選んでいただくことになっております」しばし絶句のあと「部屋の予約はそのまま。食事の選択はまたあとで」で会話は途絶えた。

ニッポンで暮らしていると、この手の会話は日常的で不自然に感じないかもしれないが、アメリカ暮らしの心は大いに乱れるのだ。第一、どんな理由であれカップルを引き離して食事させて平気でいるセンスが耐え難い。第二に一緒に食事したければどちらか一人が好きな料理を犠牲にしろというのも納得できない。これは二つともサービス業の基本理念に反している。「同じものを選んでいただくことになっています」とは民業のくせに何ごとぞ。「なっている」のではなくて「自分たちがそうしている」のでしょうが。まるで他人ごとのような口上は官業の常套句ですぞ。食堂やキッチンのスタッフの都合よりも客の身になって考えてごらん。間違いが判るから。

(出典: デイリースポーツ)

レトロな民間サービス業

ひと月ぶりに大阪の我が家に着いてみると、電気、ガス、水道、電話、ケーブルなどサービス料金の請求書が郵便受けから溢れている。どれもこれも先月ホノルルに帰るまえに、銀行口座から引き落としの手続きを済ませておいたものばかりだ。口座引き落としは、以前余分なカネを引き出されて以来我が家の家禁だったのだが、留守中の諸経費支払いため今回に限り禁を破ると決めた。それが機能しないとは一体どういうことなのだ。

各請求書に印刷されたフリーダイヤル番号に電話を掛けてみると話中でつながらない。1件あたり20分を無駄に過ごしてようやく全件ハナシができた。

各社口裏を合わせたかのように、住み始めた最初の月の請求分は銀行振り替えが出来ないという。なぜ出来ないと尋ねても明確な答えはない。いまもって理由は判らぬままだが、たぶんキリのよい月初めから口座引き落としにすると事務手続き上の手間が省けるからだろう。自分の都合のために顧客の便利を犠牲にして恥じないサービス業の根本思想は役所と変わらない。翌日、電気やガス代の支払いに駆け回り半日を費やした。これを原稿書きに置き換えると20枚を超える作業に等しい。

アメリカで賃貸住宅を借りる場合には、契約時に不動産屋に銀行口座を告げるだけで自動引き落とし手続きは完了。各種サービス料金はすべて入居当日から日割り計算だ。

ニッポンの民間サービス事業は、官業になったつもりの官高民低思想に毒されているのではないのか?それはレトロな発想だ。

会う人毎に「民業なのになぜ初めから銀行口座引き落としが出来るように工夫や努力しないのか?」と尋ねてみるが誰もが首を振るばかり。ニッポン人は不当におしつけられた不便に対してちと寛容すぎるのでは?あるいは鈍なのかな?

(出典: デイリースポーツ)