外科医になり手がいない!

「いま医学生たちは外科医になりたがらんのやそうでんな。このままやと将来ニッポンには手術をするお医者はんがおらんようになるというハナシをききました。ほんまでっか」

深刻な顔はいつもの大阪のオッチャンらしくない。

「そうなる可能性はありますよ。大阪の隣のH県は人口500万超ですが、国立と私立の医学部があります。毎年200人ほどの卒業生は2年の卒後研修を終えたあとで、内科や外科など本人が志望する科を選びますが、今年両大学あわせても、外科を選んだ若い医師たちはわずか7人だったそうです」

「500万に7人ではシロウト考えでも足りまへんな。それほど外科医はオモロないんでか?センセも外科医を永年やってきはりましたが、ホンマは後悔してはんのと違いますか?」

「外科医は人の命を救うため蓄えた知技の限りを尽くして病気と闘う素晴らしい職業です。外科医になると決めた10歳から今までの60年間、一度も後悔したことはありませんよ」

「ほな、何で若い人が外科を敬遠しますねん?」

「1人前になるまでの修業が苦しく長く、期間が明確でない、どの病院でも外科医不足なので休みがとれない、緊急手術は日夜を問わないので不規則な生活を強いられる、手術結果は外科医の技量で是非が決まるが、ニッポンの制度では相当の個人的報酬がえられない、そのくせ結果責任は外科医個人に重くのしかかる、それでサラリーは何等級何号俸の固定給で他科の医師と変わらないこと、などが敬遠される要因です」

「センセのハナシきいてると、外科医になってええことは一つもありまへんな」

「最近制度が変わって、手術結果を不満に思う患者や家族が警察に駆け込むと、外科医は業務上過失傷害の被疑者として取り調べられるようになりました。これが追い討ちをかけて外科に嫌気がさして止める人が続出し、それをみて医学生が外科を敬遠するようになってきたのです」

「日本の医療の将来はどないなりますねん。心配しまっせ」

「わたしも危惧しています」

「アメリカでも、外科医が警察によばれて手術結果を問われることはおますのか?」

「ありません。患者と医師の診療契約は、事故や失敗や過失の可能性をすべて含めた個人間の契約ですから、結果如何によって司直が介入する余地はないのです。外科医は合法的に他人様に傷害を加えることを許されている職業です。結果によって刑事罰を受ける可能性があるなら、保身のため外科医は必要な手術、困難な手術を回避する事態が生じます。回避は外科医の内なる気持ちが許しません。だから外科医が外科をやめ、医学生が外科を敬遠するようになったのです」

「どないしまんねん?センセ、なんとかならんのですか」

死の定義

日本では永年懸案だった臓器移植法が改正され、親権者の合意があれば幼い脳死者も臓器提供者になることが可能になった。今回の法案成立の過程で「臓器提供者にかぎり脳死を死と認める」という議論があったように記憶する。もし記憶が正確であれば、脳死は条件つきの死であり、死の定義にダブルタンダードを生じることになる。今日のように延命テクノロジーが発達した社会では、どこまでが生でどこからが死かという議論は異論続出でまとまりがつかない。

米国各州では州法に死の定義が定められている。アイオワ州法は死の定義を「二人の医師が別個に死亡と確認した人は死者と認める」と定めている。呼吸停止、心拍動停止、瞳孔散大、意識喪失、脳波の所見など技術的所見の詳細については一切触れていない。所見があろうとかなろうと、二人の医師が死と認めたら死なのだ。言い換えるなら、法律を作った州議会は「技術的な詳細はわれわれが定める範疇にない。医師たちが作ればよい」と医者に丸投げしたも同然だ。ありえないことだが、医師二人が共謀すれば、元気でぴんぴんしている人を死亡したことにもできるのだ。

アイオワ大学病院外科に赴任して間もなく脳死判定委員を拝命した。大学病院の定めた基準に従い数名の脳死患者を死者と判定したが、選ばれたもう一人の内科教授の判定との間に齟齬は生じなかった。だが生まれつき脳を欠く無脳児の死の判定には困った事態が生じた。大学病院の死の判定基準では「脳波の消失」が必須なのだが、脳のない無脳児は生まれる前から脳波を欠いているので、この基準に合わないのだ。誕生直後に人工呼吸を開始すれば、脳はなくても心臓はじめ他の臓器は正常に機能する。

はたと困った関係者一同、緊急会議を開いて善後策を練った。その会議にアイオワ州法が持ち出され、2名の医師の判定が合致すれば死と認めてよいと知ったのだった。人知には限界があり、すべての条件を満たす細かい技術的な定義は、かえって不都合を生むことがある。この例で、法はおおまかな原理原則を定めればそれでよいと強く実感した。

竜巻はトラックをもなぎ倒す

6月下旬、梅雨が始まりを避けるように大阪を発ち、冷たい貿易風が肌に心地よいホノルルに戻った。ハワイの夏は乾季である。ここ2ヶ月雨らしい雨は降っていない。裏山を覆う潅木も枯れ果てて地肌が見える。これほど日照りが続くと散水もママならず、固く乾いたフェアウエィは、ニッポンの冬場のコースのようなベージュ色は。ティーショットは50ヤードもランしてかなりの距離を稼げる。

4年半もの間一度も休まず毎週続けてきたコラムだが、この辺で短い夏休をとってもよかろうと、2、3回のつもりで執筆を休んだ。3週間が過ぎさあ書こうという段になると、なぜか気力もアイデアも湧かない。ま、世間も今は夏休だ。あと2、3週間ぐらい休んでも罰は当たるまいと我が身を甘やかす。6週間が過ぎて、このままだと、もう2度と筆を取れないのでないかと心配になってきた。

その間にも、梅雨のニッポンでは豪雨、地すべり、山崩れに加え、竜巻のタッチダウンで被害がでたと聞く。当局は「竜巻と思われる突風」と曖昧な発表をしているが、1年間に1000回も竜巻がタッチダウンするアイオワ州で14年間暮らした経験では、テレビに映る被害状況は、間違いなく竜巻だ。

ハイウェーを走行中に竜巻に遭遇すると、クルマごと数十米も宙に舞う。集落にタッチダウンすると人家は地下室のみを残し、地上部分は完全に消失する。竜巻中心の風速はピストルの弾より速い。地面から舞い上がった麦わらが、木の幹に5センチも突き刺さるほどのエネルギーを持つという。

 竜巻の嵐が通り過ぎたあとの高速道路をドライブすると、巨大なトレーラートラックが何十台も路肩に横倒しになっているのを見かける。ドライバー達はみんな側溝に飛び込んで無事だというが、竜巻を侮ってはいけない。米国では毎年数百人もの生命が失われているのだ。

ニッポンでもこれほど頻繁になると、竜巻に関する教育と予知するテクノロジーの開発が要るのでは?

防空頭巾とマスク

昭和20年の夏、日増しに激しさがつのる空襲で大都市は廃墟と化しつつあった。おとなたちは敗戦を肌で感じていたが国賊呼ばわりを怖れて口をつぐんでいた。当時わたしは国民学校(いまの小学校)2年生。授業中に空襲警報のサイレンが鳴ると、母親が手縫いで作ってくれた防空頭巾と呼ぶ綿入れ頭巾を頭にかぶり、校庭に掘った防空壕に避難した。当時の政府は、空襲で飛び散る爆弾の破片から大事な頭を護るため、全国民に防空頭巾の着用を命じていた。

米軍の油脂焼夷弾は破裂すると着火した油脂片が四方に飛んで多数の家屋に同時火災を起こす仕組みだ。それに対処するため竹ざおの先に藁縄束を縛り付け水に浸して火を叩き消す「火敲き」と呼ぶ道具が考案された。炎をあげて燃える油脂に水はご法度。街角の水槽の側には木製の桶があり、燃える油脂にぶっ掛けて消化するための砂が容れてあった。

新型インフルエンザもようやく鎮静化して何よりと胸をなでおろす。水際作戦で海外からビールスの持ち込みを防ぐ任務に従事した政府係官のものものしい防御服をテレビで見ると、なぜか昭和20年の空襲時、B29から降ってくる焼夷弾に火叩きを手にしてたちむかわんと待機していた町内のおじさんの姿と重なって見える。政府の指針に従いマスク姿で街を埋め尽くした人の群れは、防空壕に退避した学友たちの防空頭巾姿を思い出させるのだった。

インフルエンザの蔓延が水際作戦やマスクの着用で防止可能かどうかの検証は実施されたのだろうか?現代医学は、効果が実証されていない治療方法は使ってはならぬと禁じている。マスクとインフル感染予防の関係を検索してみたが、効果を立証する報告は見つからなかった。今回の政府指示による対策の科学的根拠は何処にあるのだろう?

今回の新インフル騒ぎでハワイ州は、全米で一番多くの患者をだした。それでもホノルルの街角でマスク姿を見ることはない。米国の行政当局は怠慢なのか?それとも科学に信頼をおくからなのか?

患者を診察しない医者

ホノルル郊外にある我が家近くには各科そろえたクリニックがある。半年に一度、高血圧と痛風を内科専門医のドクターAに診てもらうようになって8年になる。訪れる度、全身を裸にして頭の先からつま先まで裏も表もしっかり診察してくれる。一度の診察に要する時間は15分。診察しながら前回からの経過をつぶさに尋ね、丁寧に診察し終わると病状の説明をする。

アメリカ各地のクリニックはすべて予約制。1時間に4人のペースで午前と午後4時間ずつ診療するとして内科医は1日32人の患者を診る。診察料は日本円に直して約1万5千円。患者は老人健康保健や各自加入している健康保険がカバーした残りの差額を自己負担する。

突然の急病患者を受け付けると予約の秩序が乱れるから急患は一切受け付けない。クリニックにかかりつけの患者でも急病の場合には市内同系列の総合病院救急医療センターを訪れるよう指示を受ける。クリニックと救急医療センターはセキュリティの高いネットで結ばれているので、救急専門医にとって初めての患者でも経過は即座に判る仕組みだ。

「最近ニッポンでは患者を裸にして診察する医者が少なくなりましたな。患者を診ずにハナシだけちょっと聴いて『あ、そう、薬出しとくから1週間したらまたおいで。はい、次の方』ですわ。病名も予後も説明はなし。ニッポンでも、待たされずしかも丁寧に診てくれるのやったら予約制にしてくれたら差額ぐらい払いまっせという御仁は大勢いてますやろ。アメリカの予約制診療というのはニッポンでは実現しまへんのか」
元会社役員の熟年紳士と会食中の会話だ。
「健康保険がカバーする額に本人が差額を上乗せする医療費支払い方式を『混合診療』と呼んでいますが、これが日本では許可されていないのです。だからニッポンのお金持ちは、裸にして丁寧に診てくれる医者を求めてわざわざアメリカに来られます」
「そんなアホな。この不便、どうにかなりまへんのか」