ハワイ住民の生活防衛策

「あれ、間違ったところに来たかな」クルマの運転席にいながら一瞬戸惑う。ホノルルで人気の洗車センターは去年まで順番待ちのクルマが前の道路に行列をつくるほどの盛況だった。今は閑散とした構内のそこここで右手に雑巾左手にガラスクリーナーの容器を持ったユニフォーム姿の男達がたむろしヒマを持て余している。

「これは一体何?いつもなら30分ぐらいは待たされるのに」
助手席のY子さんに尋ねてみる。
「不景気のせいですわ。家計引き締めで真っ先に節約するのが洗車です。クルマなんて自分で洗えばタダですもの」
「ハイウェーを走っているクルマも少ないね」
「オアフ島は人口100万にクルマが80万台。去年の秋以前は各自専用のクルマで好きなところへ行っていたのでハイウェーも混んでいましたが、金融危機以来ハイウェーの渋滞は殆どなくなりました」
「みんな外出しなくなったからだね」
「センセのおっしゃる通りですわ。ドライブするとガソリン代は掛かるし、行く先々で食事や買い物をすると出費が重なります」
「なるほど」
「どんな暮らしにも愉しみは要ります。それには映画が一番安上がりです。わずかな出費で1日中愉しめますから映画館はどこも満席だそうですよ」
「スーパーの駐車場もよく空いているけど、まさか食べものを減らしてまで節約はしないでしょう」
「食材は量販店でまとめて大量購入し町内で分けあうという手を使えば安あがりです」
そういえば近くの量販店で山ほどの買い物にレシートを別々にもらっている人をよく見かける。

ハワイ経済にとって観光業は命の綱だが、このところ不況で落ち込む一方だ。業界で働く人達はレイオフに備えて生活防衛に必死だ。かりにハワイ州政府が1家計に200ドルずつ支給したとしても消費に回わる見込みはない。ニッポンの暮らしはまだ豊かだと思うべし。

(出典: デイリースポーツ 2009年3月26日)

寒波、ホノルルを襲う

「毎日寒いですね」
ディナーパーティーで隣席の熟年女性に話しかけてみる。
「あたし、ハワイに移り住んで40年になりますが、こんなに寒いのは始めてですわ」
ホノルルの街往く人はみな長袖のジャージーにジーンズ姿。いつもならこの時期はTシャツに半パンツ姿なのに。

「ハワイ暮らしは9年目になりますが、冬の気温が年々下がっているように感じます」
「センセのお言葉通りですわ。今年のホノルルは、お正月から今日まで、厚い灰色の雲に覆われて雨また雨。北大西洋の冬の空みたいでしたわね」
「ニッポンからの観光客はがっかりですな」
「永年日本からのお客さま相手の観光案内サービス業をしておりますが、この業界は天気や気温に特に敏感です。ここ1週間は曇りときどき雨、早朝の気温は16度、日中でも22度位でした。こんなお天気だと、海水浴やパラセーリングなど海辺のレジャーはあきらめてもらって、ショッピングや島巡りツアーそれにゴルフや乗馬をお勧めするしかありません。ハワイ旅行らしくないですね」

地図でみるとオアフ島は北緯20度と北回帰線の中間に位置している。もうすぐ春分の日だから太陽はほぼ赤道の真上にある。6月20日の夏至には北回帰線上にくる。その頃にはほんの数日だが、太陽が我が家の北側に位置するのだ。

近くの尾根に聳え立つ数億円もの豪邸には超モダンな冷房装置はあっても、暖房は想定外でついていない。この寒さに街では厚手の布団や電気毛布が飛ぶように売れているという。一番安上がりでポピュラーな暖房は色とりどりの湯たんぽ。

10億円の豪邸に住むオーナーがアヒルの形をしたプラスチックの湯たんぽを両脚の間に抱え込んで眠る姿を想像するとマンガである。古希の今日までダテの薄着を通して来たこのオレがいまさら湯たんぽなんぞ使えるかい、と見得を切ってはみるが夜明けの冷え込みは辛い。だれぞ湯たんぽ替りになってくれる御仁はおらんかえ。

(出典: デイリースポーツ 2009年3月19日)

白衣着与式

「最近、我が大学病院を訪れた患者さんから、学生や若い医師の身なりや言葉遣いが悪いというお叱りの手紙を度々貰います。その都度注意しているのですが一向に改善いたしません。センセ、何かよい解決策はないものでしょうか?」先日某医科大学に招かれ「日米医学教育比較」と題する講演を終えたあと病院長から相談を持ちかけられた。

苦情の手紙には共通点があり「貴院外来を訪れたところ、ジャニーズ風長髪で両耳にピアス、白衣の下はTシャツGパン姿で自己紹介もしない若者がいきなり『どないしたん?』と尋ねました。医学生か研修医か知りませんがこんな無礼な人間にわたしの大事な身体を触れさせたくないと思い、診察も受けず逃げて帰りました。医師は医療技術者である前にまず紳士淑女、信頼される社会人たるべきでしょう。貴学ではどんな教育方針で臨んでおられるのか伺って見たいものです」という主旨だ。

ニッポンの高卒で入学する医学生とちがって、米国の医学部は4年制大卒が入学資格だから、学生達は遥かに大人だ。入学式には男子はワイシャツにタイ、女子はブラウスを着用するよう通告される。式では長老教授から医学生の心得を聞かされたあと、一人ずつ壇上に呼びあげられ、医学部長から各自ネーム入りの白衣を肩から着せてもらう。「白衣に恥じない行動言動をすると誓え。私服姿で講堂や大学病院に一歩でも踏み入れたら即時退学と心得よ」と引導を渡されて白衣着与式は終了。違反すると本当に退学させられる。

このハナシをニッポン各地で講演するたび伝えてきたら、白衣着与式を実施した医学部が現れた。医学生たちには好評だったようだ。だが「センセ、退学は無理です。身なり程度で退学させたら親が黙っていません」だと。ニッポンの大学が自治と権威を消失して久しい。大学人として情けなくはないか。

(出典: デイリースポーツ 2009年3月12日)

Y氏逝く

このコラムにも何度も登場したY氏が先週59歳の若さで急逝した。腹痛のため実施した超音波検査で腹部大動脈瘤が発見されたが、まさかここ数日のうちに急変することはあるまいと山積する年度末の仕事を片付けていたY氏の油断を、2日後に腹部激痛が襲った。病院に急行する車中で破裂した動脈瘤が大出血を来たし、2時間を経ずして不帰の人となった。

つい1週間まえ電話で互いに無事か元気かと確かめ合い、4月にニッポンでゴルフをしようと約束したばかり。元気一杯の声も再び聴くことはできない。胸は締め付けられ涙が流れて止まぬ。友を亡くした今、あの時ああしたらこうすればよかったのにと悔やまれる。だがタラレバはすべてあとの祭り。いまはただ友の冥福を祈るのみだ。

職員2千人を擁する法人経営の重鎮にあったここ10余年、Y氏は仕事も遊びもすべてが順風満帆。超スピードで拡大する事業のすべてに采配を振っているうち、自らの健康管理にまで気が回りきらなくなった。「そんな無理してカラダは大丈夫かい?」会う度同じ言葉を何十回も繰り返してきたが、取引先の夜毎の接待、何十回目かの禁煙の誓いも虚しくまたもや手をのばすタバコ、「薬をきちんと抜かさず飲まないと心臓に負担がかかりますよ」と医者に脅され朝夕のむ降圧剤も忙しさにかまけて飲んだり飲まなかったり。

これはY氏だけのことではない。働き盛りの日本男子に共通する病気軽視症候群だ。夜更けて独りになると病気にたいする恐怖がじわじわ湧いてくる。「なーに、このオレに限って病気で倒れたりするものか」と超楽天的自己暗示によって恐怖心を振り払い、翌日もまた紫煙をくゆらせ杯を飲み干す。これが何百日も重なると潜在する病気はじわじわと後戻り不可能の域に達する。

この際全ニッポン男性に告ぐ。「医者の言うことをもっとマジメに聴け!手遅れになってからではアカン」。

(出典: デイリースポーツ 2009年3月5日)