ニールセダカショウ

ホノルルの日系紙に目を通しているとニールセダカが街にくるという報せ。懐かしい名前に魅せられ直ちにチケットを購入した。かつてホノルルにはフランクシナトラ、ビングクロスビー、パティページなど往年の大スターたちが月替わりでショウに訪れた時期もあったそうだ。それがラスベガスに奪い取られて永い年月が過ぎた。

ニールセダカはジュリアーノ音楽院ピアノ科に在籍中ポップ界にデビューした1950年代のアイドル歌手。超イケメンと蜜のような甘い声であっという間にスターダムにのし上がった。デビューから天敵ビートルズが出現した1963年までに売り上げたレコードは5千万枚を超えたという。王者の座をビートルズに渡したあと10年間の雌伏を経て再びショウビズに返り咲き、作曲、ステージ、レコーディングを重ねて今に至る。

ショウ当日のホノルルは大嵐だったが、コンサートホールは半世紀も続くファンで満席。黒尽くめに映える白のジャケット姿でピアノに向かうニールは貫禄十分。隣席のわがカミさんによると、「アイドル時代よりも今のほうが熟したオトコの魅力があって素敵だわ」だと。

名曲「ダイアリー」でショウは幕開け。「オーキャロル」「カレンダーガール」「チュウチュウトレイン」と続くと、観客席を埋めつくす熟男熟女たちは絶叫と拍手の渦の大興奮だ。独特のボーイッシュソプラノは70歳を超えて尚衰えず。ニールが作曲し、コニーフランシスが唄い、スティーブマックインが主演した映画「ボーイハント」の主題曲「ホエアザボーイズアー」のイントロが始まると熟年ファンの絶叫は頂点に達する。

ニールの歌声は、白髪世代のハートに過ぎ去りし日の想い出を甦らせた。あの日あの時のシーンが脳裏に再現されると、それぞれ胸をときめかせたことだろう。よかった。

(出典: デイリースポーツ 2008年12月18日)

オバマ効果

「ハワイ出身の黒人がよくぞ当選してくれました。みんな元気がでましたよ」会う人ごとにハナシはこんどの大統領選挙で持ちきり。それほどにオバマ新大統領の誕生は、太平洋に浮かぶゴマ粒様の島の衆にとって、一生に一度の一大事だった。

これに目をつけた観光業者は早速“バラクオバマ観光ツアー”なるものを売り出した。オバマ氏が幼少の頃暮らした家、名門プナハウ校に通った高校時代に店員としてバイトしたアイスクリーム屋、休日を海辺で過ごしたサンデービーチなどをつぎつぎとバスで案内するツアーが人気上昇中だ。

自慢ではないが、ハワイは学童生徒の学力テストでは、全米50州の最下位グループから何年経っても抜け出せない。そんなハワイから大統領が誕生したのだから「それ見たか。学力テストの平均点なんか何するものぞ。劣等生のお前達でも努力次第でホワイトハウスへの途は開けるのだぞ」と出来の悪い息子や娘に言って聞かせる親たちが増えているという。

「チェンジ!(変革)」を唱え死力を尽くしてヒラリーを倒しマケインに打ち勝ったバラクオバマは、アメリカに住む非白人グループに希望をもたらせた。バラクの当選は「自由主義社会では、人はその人となりで評価される。皮膚の色や、背後にある家柄や、特定政党や支持団体に左右されるものではない」という事実を明確に示した。それはマイノリティの若者たちに、大きな希望と勇気を与えた。十年単位で将来を展望してみると、その効果の大きさが判る。

米国では上院議員100名のうち世襲議員は数名のみ。変革好きなアメリカンの有権者に世襲はなじまない。一方ニッポン各界のリーダーたちは2世3世ばかり。年毎に交代する力不足の首相たちを太平洋のこちら側から眺めると乳母日傘で育ったひ弱な雛に見えて仕方がない。

(出典: デイリースポーツ 2008年12月11日)

アメリカンは超楽天的

先週、成田から出発するホノルル便に乗って驚いた。4分の1ほども埋まっていない客席の半分は50人に満たない中国人の観光ツアーグループ。ガラガラのビジネスクラスに座っているのは移動中のクルーたち。ニッポン人客の姿は殆どない。

出発前にパイロットが予定飛行時間は6時間とアナウンスする。離陸すると軽い機体は高い夜空を疾風のごとく飛翔する。予定時間を15分も短縮し5時間45分でホノルル空港にタッチダウンした。これまでホノルル便に乗った回数は30回を超えるが今回が最短飛行時間だった。

いつも日本から帰りのフライトでは、ディナーを含むすべての機内サービスを前もって断り、離陸と同時に眠剤を飲んで眠りにつく。約7時間のちの着陸直前に起こしてもらう。冬衣装をポロシャツに着替え着陸にそなえる。窓から日の出を眺めながら飲む朝一番のコーヒーが美味い。今度のように4時間足らずで起こされると眠気が残って目覚めが悪い。

この時間帯はニッポンや韓国から到着した団体客でごった返す入国審査ロビーも今朝に限って人影まばら。100年に一度の金融危機に加え、いまだに続く燃費上乗せ料金の影響だろうか。ニッポン人には円高のうまみがあるのに、なぜかハワイ旅行は敬遠されている。韓国では急激なウオン安で海外旅行そのものが嫌われ、ニッポン訪問のツアーも激減しているという。ましてやハワイなどというのが本音だろう。

「この先ハワイの経済はどうなるんだろうね?」永年米政府で働いたリムジン運転手に水を向ける。「お留守の間に総額4千5百億円のオアフ鉄道計画が可決されました。州民の負担は増えますがオバマ政権に替わったら総てがよくなりますよ」超楽天的なところがアメリカンの強みだ。力強い言葉をありがとう。

(出典: デイリースポーツ 2008年12月4日)

『医者は社会常識が欠落』

「麻生総理が『医者は社会常識がかなり欠落している人が多い』と発言しはった言うて揉めてますな。医師会長が総理に抗議文を渡しはったそうでっせ。センセも何かひと言いいたいのと違いますか?」大阪のオッチャンはじっとひとの目を覗き込む。「オトコやろ。なんぞ言わんかい」とけしかける目だ。
「総理の発言には一理あります。周りを見渡してみますと確かに世間を知らない医者はおります。一方で社会常識が欠落した暮らしぶりを強いられている医者もいます」

「センセ、それどういう意味でっか?」「普通の人は大学を出て就職したら会社や役所から月々生活が出来るほどの給料を貰うでしょ。給料のほかに健康保険、年金、通勤手当をはじめ各種手当ても付けてもらうのが当たり前でしょ」「当然の権利ですな」「ところが多くの若いドクターたちは、今でもこんな当たり前の権利を貰えぬまま、病院に勤務し患者さんの命に重い責任を負わされているのです。これ社会常識に反すると思いませんか」「思いますな」「日給月給といって出勤日数に日当を掛け算したわずかな手当てだけで、健康保険や年金は自前の国民保険。それで10数年間も大学病院の屋台骨を支えている中堅ドクターに会いました」「それやと生活でけまへんやろ?」「ですから週に何日か大学病院を休み市中病院でアルバイトします」「ふーん?」

「たとえば財務省のキャリアが、給料が安いからといって市中銀行でバイトしますか?」「しまへんな」「国は医者一人育てるのに5千万円もの税金を使っています。大金を投じて育てた専門職の医者を永年劣悪な勤労条件のままで放任すると、優れた技術を習得したころ辞めていきます。それが医療崩壊のはじまりです。医療崩壊は医者を大事に扱えば防げるのです。それに気づかぬ役所は社会常識が欠落していると思いませんか?」

(出典: デイリースポーツ 2008年11月27日)

独りごと芝居「マサーキ」

立錐の余地もない場内が暗転し幕が上がる。粗末な野良着姿の老人が舞台の真ん中に座っている。頃は戦後間なし。ところはH県のチベットと言われる寒村。当時7歳の「マサーキ」はじい様とこの村で暮らしていた。芝居は「マサーキ」の暮らした村の思い出を、じい様の独り語りに託して観させてくれる。

「山の斜面を駆け降りる風は水を張った田んぼの上を吹き抜け、川面を撫で、季節の息吹と土の香を満載して土手まで運んでくる。この匂いがすべてじゃ」じい様のつぶやきは短いことばながら、「マサーキ」の心に残る村の風景を見事に描き出す。

切った丸太を木馬と呼ぶ橇に載せて山から麓まで滑り下ろすのを生業とするアサという男がいた。木馬乗りは命がけの男の仕事だ。だからアサは子ども達の英雄だった。ところがある日の事故でアサは片足、職、生き甲斐のすべてを一瞬にして失った。川で獲った魚を糧に1日1食で暮らす失意の日々。人生では栄光と没落の境目は紙一重なのだよ、とじい様は教えてくれる。

子ども二人を乗せた自転車が急坂を駆け下りて岩に激突。原型を留めぬ自転車が衝撃の強さを物語る。倒れた子どもはびりとも動かぬ。村人たちは遠巻きで見守るだけ。駆けつけた半狂乱の母親が抱き上げると子等は大した怪我もせず生きていた。オンナは強し。母は尚強し。感激の一瞬。死は日常的なものなのだよ、とじい様は言って聞かせる。

「マサーキ」がこの芝居の企画、原作、脚本、出演を一人で仕切ったのにはワケがある。村の大人の喜怒哀楽に触れて育った幼少期の感性は「マサーキ」のその後の人生に独特の価値観を形成した。だからこの芝居を演れるのは感性と価値観のつながりを知る「マサーキ」本人だ。実体験から生まれた数々のメッセージは芝居をみたもの心を打った。その「マサーキ」とはデーリースポーツ紙の「元気」欄を主宰する坂本昌昭氏のことである。

(出典: デイリースポーツ 2008年11月20日)