プロの途は厳し

「石川遼がしびれさせて呉れましたな。17歳の高校生がアンタ、父親ほど年の違うベテランプロ相手に、池の中からのスーパーショットを決めての優勝でっせ。久しぶりに胸がスーッとしましたがな」大阪のオッチャンはご満悦。手にしたグラスの焼酎をがぶりと呑む。

先週マイナビABCチャンピオンシッププロゴルフの最終日、石川選手は3ホールを残す15番で首位の深堀選手に追いついた。続く2ホールで深堀を2打差リードして首位にたち最終18番パー5のティーグランドに上がった。若い身体に渾身の力を込めて放った300ヤードのドライブは左側ラフに着地。ティーショットを右手ラフに外した深堀は第3打をグリーン手前のエッジに載せた。

グリーンまで残り170ヤード。石川には池越え2オンを狙うか安全に刻んでパーオンするかという二つの選択肢があった。深堀がバーディでも石川がパーなら1打差で優勝だ。当然刻んでパーを取りにいくところだが、テレビは2オン狙いのアドレスに入る姿を写しだす。「ウソだろ。刻んでいけ!」叫びも虚しくショットはグリーン手前の斜面を池に転がり込んだ。浅瀬からの水中ショットが幸運にもグリーンを捉えパーで優勝を手にしたが、ボギーでプレーオフの可能性も十分あった。

「ベテランでも難しい水中ショットをよくグリーンに乗せました。17歳とは思えぬ落ち着いたプレーでした」アナウンサーも解説者もミラクルショットに最大の賛辞を送る。だが待てよ。水に落としたのは石川自身ではないのか。選択の是非を問わないのが腑に落ちない。結果よければ凡てよしではなかろう。

「タイガーウッズなら間違いなく刻んでいます。石川はまだ判断が未熟です」「今日のセンセは、えらい厳しいでんな。池からのショット、カッコよかったやおまへんか」とオッチャン。「プロは勝ってなんぼの世界です。カッコはおカネになりません」「センセ、大分醒めてますな。酒が足りまへんな。オーイ、酒!」

(出典: デイリースポーツ 2008年11月13日)

医療崩壊

突然強い頭痛を訴えた出産間近の女性を脳出血と診断した産科医は、産科と脳外科の複合治療が必要と判断し直ちに総合病院に緊急搬送の手配をした。ところが緊急搬送を受け入れてくれる病院がない。無為に時間が過ぎる間にも病状は進行し、それが原因で数日後に女性は死亡した。

緊急搬送患者を受けるか否かは当直医師の決断事項だ。決断の前には院内の状況把握が要る。この女性患者の場合を例にとると、外部から連絡をうけた当直医は、脳外科医および麻酔科医のスケジュール、産科病棟、新生児病棟、手術室、術後の集中治療室などの空き状況、および脳出血評価のためのMR検査室が利用可能かどうかなどを院内各部門に問い合わせ、全てが「OK」なら患者搬入を受け付ける。院内各部門にはそれぞれの都合があり、当直医の懇願に逆らって「OK」を出してくれない。懇願が論争に発展することもしばしばだ。一部門でも「OK」が出ないと、当直医は断腸の思いで患者搬入を断らねばならぬ。当直をしていて実際にこんな場合に直面すると死にたくなるほどの無力感に襲われる。

無力感のあとは憤り。怒りの対象はその場限りの無能な病院経営陣から、全国の病院をこんな状況に放置したまま無為無策で無責任な医療行政に向かう。憤れども変らぬ状況に絶望すると、こんどは自らの立場に嫌悪感を覚える。断れば命を失うかもしれない患者をただ断るためだけに病院にいる自分が許せない。絶望や嫌悪から逃れるためには病院を辞めるしかないと思い始める。医者が病院を辞めるウラにはこんな深刻なワケがあるのだ。そして医療は崩壊する。

報道によると最初に連絡を受けた総合病院では、産婦人科研修医が単独で当直していたという。研修医の診療は指導医の常在のもとでというのが鉄則だ。医師不足を患者の安全を無視する免罪符にしてはいけない。果たしてこの鉄則は護られていたのだろうか?すべては藪の中だが、そこで議論を終えると医療崩壊は止められない。

(出典: デイリースポーツ 2008年11月6日)

『ソー、ホワット!』

深まりゆく秋の宵、久しぶりに大阪のオッチャンと一杯やった。話題は阪神の惨敗理由から総理の行状に及んだ。
「『総理が毎晩高級ホテルのバーで取り巻きと一緒に高価な酒を飲んでいるのは庶民感覚から掛け離れている』と女性の新聞記者に詰め寄られ、麻生はんもキレはったそうでんな」
「そのようですね」
「センセも高級ホテルの会員制バーみたいなところで飲みますのやろ?」
「ええ。ホテルのバーは人と会って大事なハナシをするときには、静かでプライバシーが保てる点で最適です」
「高いんでっしゃろな?」
「キタのクラブなどと比べると安いものです」
「ホンマでっか?一杯なんぼ?」
「普通の飲み物なら一杯2千円でお釣りがきます」
「そんなもんでっか。それやったら女性記者が総理に詰め寄るほどのことやおまへんな。これには何かウラに別ワケがおますな」
オッチャンは思案する。
「大富豪の家に生まれた人の暮らしは普通の人と違っていて当然です。だがこの国を強く支配している『平等至上主義』はそれを否定するのです。他人の豊かさを妬むのは本来さもしいことなのですが、悲いかな、それが人の性(さが)なのです」
「そうでんな」
「もし仮に総理がその女性記者の意見を容れて大衆居酒屋に行かれたら、世界経済はもっと落ち込むでしょう」
「ニッポンでは総理が居酒屋に行きよる。経済が危ないのと違うかというて株は下がりますな」
「番記者は特別許可をもらって総理に密着しているのですから、取材範囲を日本国リーダーとしての総理に限定すべきです」
「センセ、これがアメリカやったらどういう展開になりますやろ?」「大統領は分をわきまえぬ記者に『ソー、ホワット!』と言って相手にしないでしょう」
「どういう意味ですねん?」
「『それがどうした!』という意味です。そのあとに『どうでもいいことじゃないか』という隠れ言葉が潜んでいます」

(出典: デイリースポーツ 2008年10月30日)

園児の芋畑と高速道路工事

作業服を着た男たちの集団と普段着の男女や子どもが柵をはさんでにらみ合う情景がテレビ画面に映る。「ただいまから行政代執行を行います」と宣言しフェンスを取り外す作業に入る。「なにをすんねん。こどもが植えた芋畑やぞ」と叫ぶ声を浴びながら集団は黙々と芋づるを引き抜く。背景には建設がそこまで迫った高速道路の支柱群。やがて修羅場は収まり接収は粛々と執り行われた。

道路建設は5年前に決定し用地接収と工事が進められてきた。今回執行の対象となった土地には幼稚園児らが芋を植えた畑があった。こどもが楽しみにしている「芋ほり」まで2週間の猶予を求める園長と待てないという行政最高責任者の知事。両者の言い分を比べたテレビ視聴者の大方は「2週間ぐらい待てるやろ。子どもらの楽しみを踏みにじる行政に情けというものはないのか」という意見に組するものと想像する。

これはニッポン独特の価値観だ。アメリカでは行政を市民総意の代行者と見做す。行政の事業計画には公聴会の時点で市民なら誰でも反論する機会があたえられている。だが一旦決まった決定事項には絶対服従というのが民主主義社会の掟だ。逆らう者はパブリックエネミー(市民の敵)として重い報復をうける。

今度の行政代執行は園児たちに社会の掟の大切さを教える絶好の機会だった、とアメリカンの心は思う。「キミたちが植えた芋も大事だ。だが道路建設はみんなの暮らしをよくするためにもっと大事なのだ。辛いだろうがじっとガマンして、みんなのために道路工事を進めてもらおう」と言って聞かせるのがオトナというものだろう。

不都合はすべて他人のせいという自己中心主義を吹き込まれて育った人たちがいま成人し、こどもの給食費を払わない親や病院のスタッフに理不尽な要求をつきつける患者になって、善良な市民に迷惑を掛けている。それを黙認するニッポン社会は不気味だ。

(出典: デイリースポーツ 2008年10月23日)

世界恐慌?

この1週間、世界各地の株式市場は急速な値下がりにより人々を恐怖のどん底に押しやった。

10年前ニッポンのバブル崩壊で数千円台に落ち込んだ東証平均株価も景気の回復とともに、にじりよるように上昇し1万数千円に達していた。ところが、サブプライムローンによるアメリカのバブル崩壊によってわずか1週間で8千円台にまで急落した。ニューヨークの株価暴落はたちまちヨーロッパ各地に飛び火し、時を待たずしてニッポンにも及んできた。

引退外科医にとっては退職年金の運用益が家計を預かる収入源だ。株価の今度のような大幅下落はそれこそ生活にかかわる一大事と言っても大げさでない。

早速、資産運用管理専門家で永年の友人のジョンに連絡をとってみる。「なにも怖れることはないよ。株価の下落は底値をついたら自然に止まり、再び上がり始める」と楽天的。「下がりすぎて倒産することは?」「会社によってはあるだろう」「それを心配して連絡したのだよ」「大丈夫。投資信託のいいところは何百もの業種に分散投資しているところだ。万が一、カバーする業種の総てが破産したらそのとき世界は崩壊する。現実にはありえない」ホントウかな?

「株の上下はコンピュータのはじきだす数字の変動だけ。売買しなければ損得の実感のない虚業の世界さ。投資で大事なのは時間と忍耐だよ」と超楽天的なコメント。過去20年間付き合ってきたが、口惜しいかなジョンの宣託は外れたことがない。ありがたいご宣託に素直に従い様子見と決めたところだ。

「メディアの報道にあおられ、あわてて持ち株を売って破産した投資家をゴマンと見てきた。くれぐれも風評に惑わされて愚かな行動をしないように」と念を押されて会話は終わった。ここ一番はジョンの言うとおり忍の一字でしのぎ通せば、大怪我せずに乗り切れるだろう。

(出典: デイリースポーツ 2008年10月16日)