裏金を表金に

20数年前、公立病院に勤めていたとき、小児外科医でもある某国厚生大臣の来訪をうけた。東京で公務を済ませたあと、一小児外科医の私人にもどり、関西まで足を伸ばして、わたしを訪ねてくれた。私人とはいえ大臣である。関係某省から連絡が降りてきて、病院は公式の客として迎えざるを得なくなった。

当時、外科部長のわたしには、海外から毎年10人を超える訪問客があった。VIPの客は病院見学のあと、コウベステーキでもてなすのを常とした。これには相当の費用がかかったが、勿論、病院にそんな予算はない。全額わたしのポケットマネーで賄っていた。

国から引き継いだ時点で、病院の賓客となった某国厚生大臣は、一外科部長であるわたしが、私費で私的に接待する相手でなくなった。だが病院では、不意の客をレストランで接待する経費が予算に組み込まれていない。予算にない経費を使うことは、公務にあるまじき行為である。はたと困った病院幹部が講じた窮余の一策は、院内の給食部に命じて、職員給食に2、3品加えた夕飯を整え、これを大臣に召し上がってもらうことだった。

社交術にたけた大臣も、見慣れぬ料理を目の前にして、一言の世辞もなし。主客が手をつけぬまま、公的ディナーの儀式はお開きとなった。すぐさま街一番のレストランに案内し、でっかいコウベステーキを馳走して、大臣に機嫌を直してもらった。この行為によって、日本国の威信と面目の回復に貢献したと自負しているが、ポケットから出た費用は、いまだに補填を受けていない。

役所で裏金が作られるのは、これに類した事情に備えてではないのか。だとすると、いっそのこと、裏金を表金に換えてしまったらどうだろう。アメリカの大学病院では、各幹部は数千ドルの表金を持たされていて、大学の大事な客に粗相のない接待の出来る仕組みが作ってある。

(出典: デイリースポーツ)

ニッポンの銀行

まだ肌寒い四月のはじめ、所用で日本を訪れ10日余りを過ごした。円高でもあることだし、丁度この機会に、銀行口座に残っている少しばかりのカネを、ホノルルの口座に移しておくか、という軽い気持ちでSM銀行を訪れた。通帳と印鑑を見せて、送金先を所定の書類に書き込み待つこと10分。再び現れた窓口の中年女性、パスポートか運転免許証か、身分を証明するものを見せろという。はてなと思いながら、指示通り旅券も免許証も提出すると、今度は、キャッシュカードの暗証番号を言ってみろと命令する。あげく、通帳にある入金の謂れを説明しろと命ぜられるに及んで、ここが銀行か検察庁か判別できなくなった。別の約束の時間がなければ、理由を問い質すところだった。じっと堪えているのを知ってか知らずか、この女性、パスポート、免許証、通帳、すべて一時預かった上で、コピーをとるがいいかと尋ねる。本人確証をとるのに 40分ほどかかるから、どこかで時間をつぶしてこいという。きっかり40分後に同じ窓口に戻ると、もう15分かかるという。ここに至って、ついにブチ切れた。

「送金は取り止めだ。渡した大事なものを全部返してもらおう」というと、
「あ、いま、終わりました」

たった今、あと15分かかるといったではないか。嘘つきめ。

アメリカの銀行は、大分前から完全なペーパーレスである。書類の記入は一切いらない。あまつさえ、口座から口座への送金は、自宅にいて電話一本で、世界中どこにでも自在に出来る仕組みだ。ニッポンとアメリカでは、ITのレベルが違うからだろう。

「お宅の銀行はコンピュータというものを使わないのですか。お使いになっているなら、私のデータは入って居る筈だけど。旅券や免許証、それに暗証番号までハードコピーなさったのは、なんのためか説明してもらいましょうか」

「・・・ ・・・ ・・・」

不都合なときには、無言がベストのようですな。

(出典: デイリースポーツ)

今日からボス

「本日付で、アイオワ大学病院小児外科ディレクターに任ず」という辞令をもらったのは、48歳で渡米して丁度6年目、いまから13年前のことだった。小児外科という科は専門医、医師専属の秘書およびナース、研修医、テクニシャン、アシスタントなど、全部併せても10名足らずのグループである。小所帯とはいえ、アメリカンの部下を束ねて、小児外科セクションを仕切るボスに就任したのは、無知ゆえの無謀とあとになって知った。

アメリカの大学では、各学部および各セクションは単独会計、独立採算で運営する。科のディレクターは収支バランスを維持し、スタッフ全員にサラリーがいき当たるよう、黒字経営するのが仕事なのだ。平たく言うと、わたしは、経営がそれほど思わしくない小児外科という小企業の社長を押し付けられたというわけだ。

渡米するまで永年勤めたニッポンの公立病院には、各科を独立採算で経営するという発想どころか、科の収支バランスを分別記録した帳簿さえ存在しなかった。「それは無理です。手術なら何でもやりますが、カネ勘定だけは出来ません。辞退します」と一度は言ってみた。だが、引き換えに提示された年俸の大幅昇給に魅せられて、結局引き受けてしまった。

日本の団体はその規模の大小に関わらず、何かを企画実行する場合、トップは広く会議を興し、部下に発言の場をあたえ、コンセンサスという実が熟すのを気長に待つ。機を見て「皆さんの総意が得られたので、決めることにしました」と締めるのがニッポンのトップなら、一方、アメリカのトップは、「今日からはオレがボス。決断はオレがするかわり、全責任はオレが持つ」と胸を張らねば、誰もついてこない。この一言が、ニッポンで育った人間には、なかなか口にできないのだ。「根回し」と「トップダウン」。二つの文化の違いは、とてつもなく大きい。

(出典: デイリースポーツ)

ライブドアv.s.フジテレビ

ニッポン放送の経営権をめぐるライブドアとフジテレビの攻防戦は、アメリカンの視点からみると、なかなか興味深いものがあった。ライブドアの社長もフジテレビの会長も、相手の会社を「さん」づけで呼ぶ。まるで、会社を尾張家、松平家などの「お家」と見なしているようだ。その通りだと、攻防戦関係者の言動のすべてが読める。

アメリカンの理解するところでは、会社はまず株主からの資本提供によりスタートする。大株主は社長を選び経営を託す。社長は社員を組織し、ビジネスを進めて株主に利益をもたらすのが任務だ。株は市場の原理で売買されるから、大株主は随時変って当然。大株主が変れば、会社のトップも経営方針も変る。この変動は、不遇をかこつ社員には、千載一遇の出世のチャンス。新しいトップや方針になじまなければ、辞めて違う職場を求めるまでのこと。社長や社員にとって、会社は運命共同体に非ず、利得を分かち合うだけの営利団体というのが、一般的アメリカンの会社観である。

一方、ニッポンでは、会社は「お家」であるから運命共同体。一大事が降りかかれば、社長社員は、命をかけても会社を護り通すのが男の美学だ。「ニッポン放送はフジテレビとともに歩む」というニッポン放送の社長の公言や、「われわれはライブドアを拒否する」という社員一同の声明は、その確たる証拠。これには、アメリカンもびっくり仰天。ライブドア支配の暁に、声明ゆえに、社員一同、職を失う心配はないのか。ホリエモン社長の寛大さを祈るのみである。

「ライブドアなら番組を降りる」と言うタレント諸氏の真意が判らない。ギャラの倍増を持ち出す絶好の潮時、とアメリカンは思うのだが。

息を顰めて成り行きを見る場面なのに、みんな、無邪気にラッパを吹き鳴らし、旗色を明らかにする。アメリカンには不可解である。

(出典: デイリースポーツ)