死刑囚の臓器を売買するという

いま、短期間ながら大阪に滞在してこの稿を書いている。先週のウイークエンドは久しぶりに青空をみせた新緑のコースで、5月の薫風を浴びながらゴルフを楽しんだ。

クラブハウスでの憩いのひととき、GWを中国の海南島に飛びゴルフ三昧で過ごしてきたY氏の話題にハナシは弾んだ。

海南島のリゾートは、もともと外国からの観光客を招致するため開発された。外貨をたっぷりもってくるニッポンのゴルファーは、以前は賓客扱いで、下にも置かぬもてなしを受けたそうだ。時代が変った今、おお威張りでのし歩く客は自国の成金族だという。コース沿いに建てられた別荘は転売こそ禁じられているが、だれでも自由に買うことができる。オーナーの殆どは成金中国人だそうだ。

滞在中にY氏が知り合った成金中国人と交わした臓器移植談義が興味深かった。

「わが国では死刑を執行された囚人から臓器が大量に採取できますから、臓器移植産業が盛況です。いま、臓器移植手術を受けるため、世界各国から大勢の人がやってきて待機しています」成金氏が平然といってのけるといって、Y氏は憤る。

「最近、中国でも普通の人が自分の意見をはっきり言うようになったのはいいことですが、死刑囚の臓器を売買してビジネスにする無神経さには、われわれの感性では、胸がむかついて我慢なりませんな」Y氏は憮然とした表情。
「臓器採取の予定にあわせて刑を執行するという噂もありますね」
「ありますな」
「Yさんもわたしもニッポン人ですから、想いの底流にあるのは情です。一発の銃弾で生を終える人にも感情はあり、それを嘆く家族があることに想いを馳せると、情の琴線が震えるのが判ります」
「唯物論で育った人は、生死を感情で捉えないのでしょうか。情の世間に生きる人間には、人の生を死に変えてビジネスにするという発想は、なじみませんな」

(出典: デイリースポーツ)

和と正義

「会社の経理を監視する役目の監査法人が、大手企業の粉飾決算を見逃したという理由で、2ヶ月間業務停止になりました。契約している会社にとっては、えらいことですわ」

オーナー社長のYさんはゴルフのショットの手をとめて深刻な表情。

「不正が多くの投資家に損をさせたのだから、こんな法人は業務停止より廃業にすべきでしょう」
「そうされると、会計監査を頼んでいる会社の経理は困ります。なんとか穏便に収める手立てを考えないとあきませんな」
「この際、腐った病巣は切り取るべきです」
「センセは外科医だけあってすぐ切りたがりますな。ま、正論ではありましょうが」
「ニッポンでは、不正が暴露されると、そのスジ論はさておき、関係者の都合を考えて穏便に収めるという伝統があります。不正に厳罰で臨まないから、そこここで腐敗が頻発するのです。そんな世間に住んでいると免疫ができて、皆さんもメディアも『またか』ですぐ忘れてしまいます」

思いがつのると、ゴルフはそっちのけ。

「耐震偽装のマンション、銀行の金融商品押し売り、大学研究員のデータ改竄事件など、他国はニッポンがどんな対処をするか、注目しているところです。かつて世界にゆるぎない信頼性を誇ったニッポンの技術、金融、学術の信憑性を揺るがす大問題ですが、ニッポンの皆さんはそれほど深刻に感じていないでしょう」
「言われてみるとそうですね。もう済んだことのうちですな」

Yさんもクラブを片手に深刻な表情になってくる。

「ここで誤ると、他国からの信憑性を再び取戻すのに何十年もの歳月を要するでしょう」
「センセ、アメリカで不正発覚の場合、ニッポンと対処の仕方に違いはありますか」
「ニッポンは世間の和で対処しますが、アメリカは正義に照らし合わせて判断します。正義は過ちを許しますが、偽装、改竄、強要、詐欺などには厳しいですよ」

(出典: デイリースポーツ)

一体、プロとは何?

5月7日、今年イタリアのトリノで開催された冬季オリンピックの女子フィギュアスケートで優勝し、ニッポン選手のなかで唯一人金メダルを受賞した荒川静香選手が競技生活にピリオドをうち、プロスケーターとして出発すると宣言した。記者会見で「プロ転向後の初のビジネスは、チャリティーショーなのでギャラはゼロ。ゼロからの出発です」というコメントが爽やかだった。

アマチュア時代には、日本政府や各種団体が後ろ盾になり、コーチや支援スタッフに護られて、競技に勝つこと以外の一切に煩わされることはない。だが、一旦プロに転向したら、常に新しいプログラムをショウに取り入れ、人気を逸らさぬ苦労がいる。ショウビズは厳しい。飽きられてしまうと終りだ。

テレビをみながら、プロとはなにかを考えてみた。プロは、もてる技能の金銭的価値を収入に変えて生業とする個人という定義にいたった。

若い頃「その手つきではプロの外科医にはなれないぞ」と手術中に叱られた。時が流れて立場がかわると、同じ言葉で若い外科医にハッパをかけた。

だが、そうして育てた外科医もニッポンではプロとは呼べない。技量に不足があるのではない。いまの診療報酬制度では、手術の値段は難易度、必要なスタッフの人数、かかった時間を基礎に計算した数値(点数)で決められている。これには外科医の技能の値段は含まれていない。経験や技能は不確定要素という理由で、考慮の範囲外なのだ。

アメリカでは、わたしはプロの外科医である。だから手術の値段は自分で決める。わたしの手術料と医療保険の定額手術料には当然差が出る。その差額は、患者の自費か、別加入の保険が支払ってくれる。自費も別保険もない患者には、わたしはタダで手術をする。

日本ではこの方式を「混合診療」と称して禁じているが、それではプロの外科医は育たない。

(出典: デイリースポーツ)

医師が足りない?-これが真相だ

先週、公立病院の医師不足解消について私見をのべたところ、読者から「そんなに医者が足りないのなら、医学部の定員を増やして医師の増産をすればよい」という反応があった。単純明快な解決案だが、医学生の定員を増やす必要はない。

高校から現役で医学部に入学すると、6年後の24歳時に卒業し、国家試験に合格して医師免許を受ける。選んだ専門科の修業をつんでひとり立ちするのが30歳とすれば、それからあとの約35年間が医師としての活動期間である。

一人の医師が1年間に診療する病人の数を国際比較したデータによると、米国の外科医が1年間に行う手術の数は、日本の外科医の2.5倍だ。日本は外科医の生産性で大きく遅れている。米国の外科医は1年間に200件以上の手術を手がけ、それを下回ると慣熟性を問われる。因みに、引退前の1年間にわたしが手がけた手術は350件だった。

日本の外科医が、われわれ米国の外科医のようにいまの2.5倍のペースで手術をするなら、外科医不足は即時に解消する筈だ。それが出来ないのにはワケがある。

米国には秘書を持たない医師は一人としていない。診療活動は秘書のほかにも各職種数人のアシスタントが支えてくれる。わたし一人で1年に300件以上の手術ができたのも、書類仕事やその他の雑用一切を受け持ってくれたアシスタント達のお蔭だ。

それと比べると、日本の医師たちは、秘書なし、アシスタントなしで孤軍奮闘、まるで「裸の王様」だ。書類やカルテの整理に追われてやむなく週末も出勤する。これでは診療に専念できない。

日本政府は医学生一人を育てるために数千万円の税金を注入している。それほど大金をかけて育てた医師を「裸の王様」のまま放置してはいけない。適当な補助要員を付ければ、医師はもっと診療に専念し、熟度は増し、不足は消滅する。関係者には是非一考してもらいたい。

(出典: デイリースポーツ)