おとしまえ

先週、分娩に立ち会った産科医が酒臭かったという訴えをとりあげたメディアの記者会見で、院長以下関係者がテレビに向かって頭を下げさせられた。映像を見ていたら現役外科医時代の不快な思い出が甦ってきた。

44年前、外科医として修業2年目、医局の命令で同期のYと一緒に島の病院に勤務した。大先輩の外科医長と副医長にYと私の4人で1年間に緊急を含む800件もの手術をする超多忙な外科だった。Yと私は病棟に隣接した医師宿舎に寝起きしていた。日暮れて宿舎に戻ると眠るまでのわずかな時間が唯一の休息。ビールを飲みながらくつろいでいても急患は診なければならぬ。急患を診る医師はYと私以外にいない。徹夜の手術が終わって夜が明けると休む間もなく待合室にあふれる外来患者を診るという多忙な毎日だった。

ある晩束の間の眠りをむさぼっていると「センセ、交通事故です」と夜勤ナースの声。着替えももどかしく救急外来に出向くと「来るのが遅いやないか。もしワシの息子が死んだら全責任を取らすぞ。外科の医者やったら寝たりせんと徹夜で救急外来の番をしとらんかい」理不尽な暴言を吐く被害者の父親は暴力団幹部。医師やナースはその後もこの男の数々の暴言に悩まされたが、治療の甲斐あって息子は全治退院の運びとなった。「亡くなられたら全責任取らすといわれた言葉、覚えていますか。全治退院なのだから一言アイサツをください」詰め寄るとしぶしぶ「ありがとう」の一言。きっちりおとしまえをつけてもらった。

ぎりぎりの人数で診療を切り盛りしている外科医や産科医には非番も休日もない。非番の日に酒を飲んでいても応援を頼まれれば病院に駆けつける。それを飲酒診療と謗るのは正論だ。だが飲酒しているからといって医師が診療を辞退しもしそれが不幸な結果を招いたとしたら、正論支持の人たちはどうおとしまえをつけるつもり?現実に即した対処が必要なのでは?

(出典: デイリースポーツ 2009年4月30日)

真の郵便サービス

桜の盛りは過ぎたが、つつじやさつきのピンクが新芽の若緑に映える大阪に着いた。持参のスーツケースを整理してみると、常用薬の残りが1週間分しかないのに気づいた。ホノルルを発つまえのチェックリストに「補給」をうっかり書き漏らしたのが原因だ。これから2ヶ月ものニッポン滞在中、血圧のコントロールが出来ないと困る。早速ホノルルの薬局に電話すると薬は2ヶ月分用意するが郵送は出来ないという。困ったときの神頼み。ゴルフ仲間のY子さんに連絡し、薬局で薬をピックアップし国際速達小包で送ってもらうようお願いした。

パッケージは48時間のちに我が家に配達されたが外出中で不在。郵便受けに残された配達通知書には幾つもの受け取り方法が指示されている。「X日間は局留めにしておくから印鑑をもって取りに来い」という紙切れ1枚を残した昔の郵便局時代と比べると今のサービスはまさに雲泥の差だ。指示された時間に電話すると応対に出た男性職員の言葉の隅々にまで尊敬の念が感じられた。薬はきっちり指定した時間に届けられ一息ついた。郵便は民営化後際立って便利になった。その事実に逆らって郵政を国営に戻したい人たちがいる。醜いアナクロニズムのウラにはよからぬわけがある。要用心だ。

米国の郵便局はいまでも国営だがニッポンの旧郵政省とは経営の原理原則が違う。郵便料金などは全国統一だが、現場の仕事内容や職員の待遇は各局によって違う。不在中にホノルルの我が家宛の郵便物は大阪まで無料で転送してくれる。これが国営郵便のサービスなのだ。一方、ハワイに帰ったあとで大阪の住まいに届いた郵便物は、次に来る日まで郵便受けに溜まったまま。これでは用心も悪い。

日本郵政も民営化記念に国際無料転送サービスを開始したらいかが?旧い社屋の保存に血道をあげる以上の国威掲揚になりますぞ。

(出典: デイリースポーツ 2009年4月23日)

別居予行の奨め

今年1月中旬、カミさんを大阪に残したまま独りホノルルに戻り2月半の別居生活を体験した。ふたりが離れ離れで暮らすのは初めてのことである。突然の決断をいぶかる友人知人はさては熟年離婚の前触れかと心配してくれたがそんなキナくさい動機ではない。

8年間も毎冬ホノルルで避寒を重ねてくると耐寒性は失われて当然だ。冬を越すには熱産生能力が不可欠だが亜熱帯に慣れたわが身はなかなか起動しない。ハワイ在住の古希にとってニッポンの冬は冷たく寒く辛いのだ。

耐寒性には個人差がある。わがカミさんは「寒いのは全く平気よ。真冬の朝冷たい空気に触れると身も心も引き締まって気持ちがいいわ」とうそぶく。冬が好きだという家内を無理矢理ハワイに連れ帰るわけにはいかぬ。さりとて大阪に留まればメシより好きなゴルフもままならぬ。

古希を過ぎると明日にでも逝く覚悟はあるが独り残ったら辛かろう。今のうちにその予行演習をしておけば衝撃も軽くて済むだろう。この際大阪とハワイでそれぞれ独居体験してみるかという会話が一人歩きし、一時別居が現実したというワケだ。

独り暮らしの我が家がらんとして味気ない。朝起きて米を研ぎ炊飯器をオンにし鍋で味噌汁を作る。昼飯の献立はと考えている間にも時は過ぎ行き気づいてみると早や正午過ぎ。昼は近くのハンバーガー屋で済ませ、さて晩飯はという時点で思考停止。考えても思いつかない間にも、汚れた食器を皿洗い機に入れたり洗濯の終わった衣類をドライヤーに移したり。床にバキュームをかけ終える頃には黄昏迫る。カミさんの1日がこれほど多忙とは知らなんだ。こんな毎日を何万回と重ねて偉ぶりもせぬ世の奥方たちと比べると「めし、風呂、寝る、アレ」だけで空威張りしている亭主なんぞ実態のない幽霊会社みたいなもんですな。体験してみるとよく判りますぞ。

(出典: デイリースポーツ 2009年4月16日)

日米文化の違いは深刻

国際事業で成功した熟年ニッポン男性Zさんは数年前に同年配のアメリカ白人女性と結婚し、トウキョウ本宅とホノルル別荘を行き来して過ごしている。そんな暮しのZ夫妻とひと宵ディナーを共にした。

「朝ベッドでまどろんでいると『朝ごはんはオムレツそれとも目玉焼き?』と尋ねるから『目玉焼きでいいよ』と答えて眠りかけると『飲み物はコーヒー?紅茶?砂糖?ミルク?それとも両方?』の質問攻めで目が覚めてしまうのです。アメリカの男は毎朝こんなカミさんの質問地獄に耐えているのですかね。それともこれは我が家独特の現象でしょうか。わたしは日本男児ですから用意ができるまで寝かせてくれたら、何でも文句は言わないで美味しく食べるといっているのですがね。センセ、どう思います?」ニッポン語で尋ねるZさんの質問をそのまま「と、あなたのダーリンは言っていますよ」と夫人に振ってみる。

「わたしたちアメリカンが一番大切に思っていることは、好きな人、モノ、居場所、時間、想いを自分で選べる自由です。だから我が家の朝ごはんは、ダーリンの好きなメニューに合わせて作るのがわたしの愛のしるしだと思って実行してきました。だのにこの人は『朝めしなんか何でもいいからもう少し寝かせてくれぇ』なんてひどいわ。センセ、わたしどうしたらいいの」二人ともエエ歳こいてエエ加減にしぃや。あほらし。

「ボクらの年代のニッポン人は選択の出来ない時代を通ってきました。家でも学校でも好き嫌いをはっきり言うと我侭言うなと叱られたのです。だから『どちらが好き?』と尋ねられると戸惑うのです。我ら日本男児の先達は、毎夕奥方との会話を『めし、風呂、寝る、アレ』の四語で済ませたそうです。Zさんにもそのトレンドが残っているのでしょう」「センセ、アレって何?」「アレはアレです」

(出典: デイリースポーツ 2009年4月9日)

アメリカ式選挙資金集め

選挙に巨額のカネが要るのは日米同じだが集め方はちと違う。現役の外科医だったころ上院議員の再選支援パーティに招かれた。支援者の邸宅に着くと地域のセレブたちがぞくぞく乗り付けてくる。受付役は前から顔見知りの当家の奥方。「ドクター、支援金は個人小切手でお願いしますね」「どうして?」「企業や団体からの献金は選挙資金として受けてはいけないのよ」「個人なら何万ドルでも?」「勿論よ。1万ドルぐらい奮発して頂戴よ。手術一回分じゃないの」「冗談でしょ」で会話は終わった。

分相応の額の小切手を手渡し胸に名札をつけて客間に入ると議員とそのカミさんが「ドクター、ようこそいらっしゃい」こぼれんばかりの笑顔で迎える。まるで十年来の友人同士のように肩に手をかけ握手をする仕草には熟達の技が感じられる。この人それまでに同じ挨拶を何万回繰り返したことだろう。「役者やのう」と感心しながら、こちらも負けてはいられない。

初めての患者に何年も前からのかかりつけと思わせ、信頼と安心感を持たせて緊張を緩和する技術も医師の職業的技巧のうち。「セネター、ここでお会いできてこれほど嬉しいことはありません」と手を握りながら目の奥をじっと見る。議員の頭のなかのコンピュータが「以前どこで出合ったかな?」とフル回転を始めるのが見てとれる。虚虚実実、互いに作り笑顔を交し合う田舎芝居。立ち話で議員への頼みごとに触れると、付き添う秘書にその場で下命してくれるサービスつきのパーティだ。

各地でこんなパーティを重ねると企業や団体の支援はなくとも数億円の選挙資金はすぐ集まる。オバマ大統領はこの方法で集めた草の根資金の数百億円を使って、ヒラリーを退けマケインを倒した。その蔭で「オバマの勝利はオレの小切手が支えたのだぜ」と無数無名の支持者たちは満足感に浸るのだ。

(出典: デイリースポーツ 2009年4月2日)