想い出のサンフランシスコ

ニューヨークを離陸して陸地の上を延々6時間も飛んでやっとサンフランシスコに着く。ニッポンだと国内線は30分も経たぬ間に海上にでる。国内に時間帯が4つあって東西3時間の時差をもつアメリカ大陸は広い。ホノルルとNYの時差は6時間。この時差はニッポンとの5時間よりも大きいのだ。

サンフランシスコ市の中心にあるヒルトンホテルに着いたのは黄昏どき。ロビーはチェックイン客で混む筈が閑散としている。ゴールデンウィークの真只中だから、街中ニッポン人観光客だろうという予想に反し、わが同胞の姿は殆ど見かけない。なぜなのだ。

この街には1937年に建造されたゴールデンゲートブリッジ、マフィアの親玉アルカポネを収容したアルカトラス刑務所、蟹や海老料理で有名なフッシャーマンズ波止場など、魅力的な観光スポットが目白押しだ。アメリカ人が一生に一度は訪れてみたい場所がこの街だという。

むかし野球少年だった頃、オドール監督率いるSFシールズというマイナーチームが来日しプロ野球連合軍を相手に連戦連勝した。アメリカの野球はこんなに強いのかと魂消て以来この街は忘れられない。堀江青年がマーメイド号で太平洋単独横断に成功し上陸したのもこの街だった。

坂道沿いにベイウインドウと呼ぶ独特の出窓を連ねた木造3階建ての街並みが続く。その合間をケーブルカーが車両の側壁に人をぶら下げて往来する。この風景は初めて訪れた40年前と変わらない。

マーケット街大通りを歩いていると、40年前の映画でダーティハリーがならず者をマグナムで撃ち倒すシーンのロケ地に到達した。主役を演じたCイーストウッドの若かりし日の面影が瞼に浮かんで無性に懐かしかった。

夜が更けて窓の外の夜霧に潤む街灯りが次の来訪を誘う。胸ときめかせたがかなわぬ今、SFは哀愁の街に変じてしまった。悲しい。

(出典: デイリースポーツ)

ブロードウェイの「マンマミーア」

いまマンハッタンの6番街と53丁目の角にそびえたつヒルトンホテルに滞在してこの稿を書いている。部屋から通りを見下ろすと、夜半過ぎというのに人の流れの途絶える気配はない。ホテルから少し西をショウ劇場のひしめくブロードウエイが斜めに走っている。ホノルルを出発する前にホテルの係りに電話で頼んでおいた「マンマミーア」というショウのチケットがとれたので早速観に出かけた。幕が上がるのは8時。夕飯はその前でなければ、はねたあとでは遅すぎる。近くのイタリア料理店を6時に予約し、満席のテーブルでサラダとパスタ、それにグラスのキアンティだけという簡素なディナーをそさくさと済ませた。周りのテーブルの会話は専らショウの前評判ばかり。

この国に移住して真っ先に落ち着いたのがこのNYだった。その土をいままた踏んで感無量である。だが感傷に浸るとワインがまずい。オトコは幾つになっても、あとを振り向いてはいけない。ひたすら明日に向うから今日という日が生きられる。

「マンマミーア」を演っているウインターガーデン劇場は、1年を通して98%の充席率だ。今宵も満席。ショウは熟年未婚母とその娘の父親を名乗る男たちが織り成す他愛もないストーリーだが、息もつかせぬ2時間半のパーフォーマンスは素晴らしかった。数千人の中からオーディションで選ばれたアーティスト達は、某国の有力芸能事務所があちこちに圧力をかけて売り出す稚拙類芸人とは根本が違う。ホンモノのアーティスト達が観客に媚びないのがいい。フィナーレの十数分間は総立ちの観客席と一体化した演出に感極まって泣き出す人もいた。通りに吐き出さても、まるで自分が「マンマミーア」の主役を演じたような高揚感が残る。これにどっぷりハマってしまったのでもう次のNY行きを計画中。

(出典: デイリースポーツ)

コロラドの月

いまコロラド州コロラドスプリングスのザ・ブロードモアというリゾートに滞在してこの稿を書いている。歴代大統領が宿泊したというこのリゾートは、アメリカでも歴史のある超セレブなホテルのひとつだ。

部屋の窓ごしに万年雪をかぶったロッキーの峰々が見える。夕陽を受けて黄金色に輝く姿は荘厳だ。陽が落ちると急に冷え込む。乾いた空気の夜空にかかるのはコロラドの月。

客室のキャノピーのあるベッドは床から90センチ。あまりに高いので寝るときには助走をつけてエイヤッと飛び上がらねばならぬ。異常に高いベッドの由来を女性スタッフに尋ねても首を横にふるだけ。「1917年のオープン時には床をガラガラ蛇が這っていたからじゃないの?」と嫌味な誘い水を向けてもただ微笑むばかり。

「自力でベッドに上がれない熟年の客はどうするの?」と尋ねると、「シニアの方には踏み台をお持ちします」「それでも駄目なら?」「私どもスタッフが後押しに参上いたします」だと。寝るだけに後押しが要る不便さは、今風の利便簡便主義に逆らうレトロ趣味だ。だから若い恋人や新婚よりもワケあり大人の隠れ宿向きだろう。値段も飛び切り高いかわりに、ベッドインには後押しサービスもついている。

今回は会員資格を『医学の流れを変えた外科医』に限定した米国外科医師会の集いに出るためコロラドに来た。この会の日本人正会員はわたしの他にもう1人だけ。近代医学が生んだ人工心肺、開心術、臓器移植、経静脈栄養法、腸管延長術などの新技術は無数の生命を救ってきた。そんな技術を開発した外科医の集りがこの会なのだ。

ザ・ブロードモアホテルは、過去にも数え切れぬ医学会をホストしてきた。わたしの部屋にも先達の大外科医が泊まったことがあるだろう。なのにレトロのへちまのと悪口を吐くとバチが当たるかな?

(出典: デイリースポーツ)

ペコちゃんが泣いている

世代を超えて愛されてきたペコちゃん人形がアイドルの老舗菓子屋チェーンが、倒産しかけて大手のパン屋に吸収されようとしている。ことの起こりは使用期限のきれた原料を食品製造に使用したという内部告発が発端のようだ。事態が明るみにでると、テレビ、新聞、週刊誌は菓子屋のあれこれを異常な熱心さであげつらい世間の注目を集めた。しばらく閉業に追い込まれた菓子屋は、資金尽きて大手のパン屋の救済を受けるという。つい最近になって、当時、テレビの人気番組が報道した内部通報者からの情報が偽造であったことが明らかとなった。辛口の論評を売り物にする番組主宰者の人気タレントが、自らの番組の放映中に謝罪するというニッポン独特の決着をした。だが、これはアメリカのテレビでは絶対に見られないシーンである。

報道された出来事の一連の経過は依然闇の中。アメリカンの眼でみると腑に落ちぬことだらけだ。まず、この出来事には菓子屋から実害を受けたという被害者が存在しない。内規に反して製造された製品を食べて病気になった人間は居ない。ペコちゃんがアメリカに在住中なら、こんどの1件は社内問題で片付けられたことだろう。

アメリカだと、通告者からの密告のウラもとらずに報道したテレビ局は裁判で敗訴し、何十億円単位の賠償金の支払いを命ぜられたことであろう。巨額の罰金や法的報復が、弱肉強食のアメリカ社会では、弱者を護るための強い歯止めの作用をしている。

10年前、人気者の黒人女性タレントが挽肉製品の0157汚染問題について製造会社を番組で批判した。挽肉会社は直ちに訴訟に踏み切り、莫大な額の損害賠償金を手中にした。企業の責任者たるもの、株主、社員、そして顧客の利益を護る義務がある。謝罪の言葉などに惑わされず、受けた損害をきっちりと訴訟で取り戻すのがアメリカの経営者だ。

(出典: デイリースポーツ)

「オペのイチロー、世相を斬る!」

先月末にニッポンに来て束の間の3週間が過ぎた。いま春爛漫。ニッポンの桜を存分に楽しんでいるところだ。寒さの厳しい冬もお水取りを過ぎる頃になると、そこここに鳥がさえずり、木々は若芽を膨らませる。水ぬるむ頃、野には蓮華が咲き、ふきのとうやつくしが目を覚ます。よもぎの葉を摘んで香りを嗅ぐと、むかし遊んだ川原を想い出す。快いファンタジーに耽っていると、このままニッポンに留まりたくなってくる。胸中に蠢動する春のきまぐれは過去に何度もあったが、今度のように胸のときめく名残り惜しさに変じたのは初めてだ。なぜだろう。

「ハワイは春夏秋冬の節目がのうて、秋と冬は永久にこない絶海の小島やおまへんか。そんな島によう辛抱して住んではりますな。そのうち南洋ボケになりまっせ。はよ戻ってきなはれ」ニッポンで再会した大阪のオッチャンは相変わらずハワイに対して厳しい言葉を吐く。「オッチャン、ハワイで誰ぞにフラれでもしたのと違いますか?」水をむけると「いや。誰もが思うてる当たり前のことを言うてるだけです。センセみたいなお人は、ニッポンにおらなあかん」だと。

「からだはハワイにあっても、気持と心はニッポンにしっかり根付かせ残しています。ウソだと思うなら、先週全国の本屋の店頭に並んだ『オペのイチロー、世相を斬る!』(松柏社¥1500)というちょっと変わったタイトルの本を読んでもらうと判ります」

「ふーん、センセは手術のほかにモノ書きもしはるんでっか?モノ書きは英語でしまんのか?」「勿論ニッポン語です」「それやったら早よニッポンに戻りなはれ。ハワイで英語みたいなもん使うて暮らしてたら、ニッポン語を忘れまっせ。大阪で関西弁で暮らすほうがなんぼかよろし」

執拗にニッポンに戻れというワケが判った。オッチャンは英語が嫌いなのだ。

(出典: デイリースポーツ)