アイオワの無賃ゴルフ

「今日は、大変楽しいゴルフでした」ホテルへの帰途、地平線まで広がる緑の大地を眺めてO氏とI氏は上機嫌だ。「ところで、センセ、今日のプレー料金を清算させてください」両氏からの突然の申し出に、おもわずハンドルから両手が離れかけた。

先月アイオワ大学で病院管理学セミナーを開催した。その前夜祭ゴルフの初日のことだ。クラブハウスの玄関で二人を降ろし、クルマを駐車して戻ってみると姿が見えぬ。「チェックインを済ませて練習に行ったな」と思いながら、プレー料金の支払いを済ませて外に出ると、スタッフが「何時でもスタートしてください」と言ってくれる。何処からともなく現れたご両人と、1番ティーに上がりプレーを開始した。

アメリカのゴルフコースでは、チェックイン時にプレー料金を前払いするのが常識だ。あとの買い物や飲食の支払いは、すべてその場で、現金で済ませる。18ホールを通しでプレーし、ニッポンのように、ハーフが済んだ時点で食事を強要される心配はない。クラブハウスには、ロッカーやシャワーも備え付けてあるが誰も利用しない。着替えはクルマのなか、シャワーは家に帰ってからだ。クラブハウスに入るのにジャケット着用を強制するニッポン特有の不思議な規則もないから、気楽である。

ワケを知った両氏の消沈ぶりは、おかしさを通り越して、気の毒なほどだった。「ニッポンでは、プレー料金は後払いですから、センセがまとめて払って下さったものと思っていました。紳士にあるまじき無賃ゴルフをしてしまいました。ニッポンの恥になります。是非、クラブハウスへ引返してください。支払いを済ませずには、ニッポンに帰られません」「ま、そんなに大層に考えんでよろしい。昔から旅の恥は掻き捨てといいます。ただし、今日の出来事は、生涯の語り草にさせてもらいます」というワケで、このコラムの語り草にした。

(出典: デイリースポーツ)

40年前のアスベスト

「アスベスト(石綿)を長期間吸引すると、アスベストーシスという肺繊維症や、肋膜に発生する悪性中皮腫の原因となる」

記憶をたどると、昭和30年代に医学部で使った病理学の教科書に明記されている一節である。卒業後に受けた米国医師国家試験にも、アスベストと中皮腫の関連を問う問題が出ていた。今から40年前、医学の世界では、アスベストと悪性中皮腫との間にある因果関係はすでに常識であった。

その後何年か経って、「大脱走」や「ブリット」で一世を風靡したハリウッドの映画俳優スティーブマックイーンが中皮腫になったと伝えられた。ロスの医師団から不治の宣告をうけると、メキシコに移って実験的治療を受けたが、効果空しく、若くしてこの世を去った。

20年前アメリカに移って、住む家を探したときのことだ。外科医という職業柄、病院から数分の範囲にある売り家を見て歩いた。案内してくれた不動産屋の女性は、「法律で決められているので伝えておきますが、この一帯は昔からの住宅地なので、どの家でも、暖冷房のダクトや給湯パイプの周りには、アスベストが使われています」「そのまま住んで、大丈夫なのかね」「アスベストは寝た子と同じ。そっとしておけば大丈夫です」「除去はできないの」「出来ますが数百万円の費用がかかります」という。

「最近新築の家にも、アスベストは使ってあるの?」「いいえ。数十年前の米国政府のアスベスト使用禁止令以後に建った家には、一切使ってありません」

日本では、わずか10年前の1995年に、初めて毒性の強い種類のアスベストの使用禁止令が出された。

40年前の医学部で「アスベストは中皮腫の原因となる」と習って30年後のことだった。医学界と行政の間に情報伝達障害があったのか、はたまた情報が途中で握り潰されたのか、いまとなっては不明である。

(出典: デイリースポーツ)

緒方貞子さんのトイレ

10日ほど前、ニッポンに着いてすぐ買った週刊誌の、「国際協力事業団(JICA)のトップレディである緒方貞子さんが、理事長室に専用トイレを新設したのがけしからぬ」という記事を読んで仰天した。国際協力事業団という公的団体のトップが、自分だけの専用トイレを公費で造らせるのは無駄遣いだ、ローカひとつ隔てた一般職員のトイレを使えば済むことではないのか、という主旨の記事だった。

アイオワ大学病院に勤める各科幹部のオフィスは、役職によって仕様の違う個室である。外科教授に昇進したときには、準教授時代より数平米広くて快適な個室を貰い感激した。小児外科部長に昇進し、職員を束ねて科を仕切る役目につくと、さらに一段と広い部屋を貰った。

幾つかのセクションを束ねるディビジョンのトップには、トイレつきの個室を与えるという院内規定がある。友人の外科教授がディビジョンの長に昇進したが、生憎トイレつきの特大個室には空きがなかった。そこで病院は、通常の個室二つの隔壁を取り払い、一つの特大個室にし、トイレを新設して、新しいディビジョンの長に与えたが、だれも無駄とは言わなかった。これで驚くのはまだ早い。外科全体を仕切る主任教授の個室には、トイレのほかにシャワーもついているのだ。

日本独特の平等至上主義を信望する御仁にとっては不快だろうが、米国の大学や団体では、オフィスの広さや設備は、持ち主の立場や裁量の大きさを推し測る重要な目安として、社会に定着している。

緒方貞子さんは国の国際事業団体であるJICAの最高責任者である。JICAのトップは日常的に各国要人の訪問を受ける。要人訪問客は、最高責任者のオフィスに迎えるのが国際常識である。面談の時間が長引けば、要人といえども、用足しをしたくなる。そうした場合、一国の大臣を「ローカの先のトイレにどうぞ」と案内しますか?すれば、それはニッポンの恥ですぞ。

(出典: デイリースポーツ)

ルームサービスのすすめ

ここ一月半の間に、ホノルル、仙台、ホノルル、バンクーバー、バンフ、アイオワシティ、ホノルル、そして広島と、息つく間もない過密スケジュールで移動した。この間、ホノルルの我が家で過ごしたのは、わずか 8日だけ。いまは広島のホテルに10日間滞在し、この原稿を書いているところだ。

ホテル暮らしも永くなると、毎日同じメニューの朝飯に飽きてくる。ところが、朝飯をたべる人たちは日替わりだ。眺めて飽きない。それぞれの背景にある事情を想像すると、様々な想いが浮かんできて、興味がつきない。

まずは、スーツにネクタイの熟年紳士と、若いおんなのふたり連れ。ワイシャツのくたびれ具合は、明らかに、昨日と今日の連日着用。あらかじめ予定した泊まりなら、替えのシャツぐらい持参するだろう。

連れの女性の乱れ髪、腫れた瞼、疲れの浮きでた素顔は、昨夜の名残り。本来、人目に晒すものではない。ふてくされた態度には、レストランで朝飯を摂りたくないという気持ちが読み取れる。

テーブル案内係のウエイトレスから、「おはようございます」と元気いっぱいの挨拶を受けると、この紳士、ぎょっとした表情で腰が引ける。後ろめたさが丸出しだ。連れの女性は「あほらし。返事するのもしんどいわ」と無気力、無感動の表情で無視なさる。

席に着くと、上着の内ポケットに大事に仕舞っておいた朝食券を取り出し、ウエイトレスに手渡す。多分、永年の節約の本能が、彼女と一泊の不倫泊にも、朝食券つきの部屋を予約させたのだろうが、情事の翌朝に朝食券は不釣合いだ。

秘めた関係の二人なら、朝飯も秘め事のうち。ルームサービスを取って、そろいのガウンを着たまま部屋で食べるべし。

ホテルのレストランで乱れ髪の彼女と朝食を食べている姿を、デジカメに写され、会社やかみさんに送られたらどうします? わずかな経費をケチると、人生の破滅を招きますぞ。

(出典: デイリースポーツ)

「すべては患者」と「すべては役所」

「アイオワ大学は州立でしょう。それなのに、人事も予算も学部新設も、みんな大学の幹部が、好き勝手に決めていいのですか。日本の国公立大学では、職員数や給与の設定はもちろん、物品購入では鉛筆一本にいたるまで、一切を監督機関である役所にお伺いをたてて、了解をとらねば、前に進めません。私たちの大学病院も、アイオワ大学のように、経営をわれわれの自由に任せてもらえれば、患者のケアを改善できるのですがね」

病院経営セミナー受講生のZさんは、圧制国家からの脱出者が、はじめて自由社会を見たときのように感嘆する。

アイオワ大学は州に所属するが、独立法人である。経営に関しては、州の支配は一切うけていない。大学病院は各部門が独立採算、独自の人事権をもって機能している。たとえば、病棟に働くナースの数、配置、勤務評定、備品購入などは、現場を仕切る婦長の決断事項だ。ナースの給与は看護部長が決める。
各科ドクターの給与は、診た患者の数、実施した手術の件数などにより、各科の部長が決める。何等級何号俸の年功序列ではない。実利主義の経営方針は、患者ケアをする現場の人間の決断だから、不都合があれば、直ちに変えることが可能である。

実利主義は、制御を欠くと、実利に暴走する。これを防ぐためには、共通の理念で職員全員を束ねることが必要だ。アイオワ大学病院は「すべては患者の受益のために」を理念に掲げている。

「ニッポンの国公立病院は、『役所の規則に忠実に』という理念で動いています。たとえば、受付時間を1分でも過ぎてきた患者を診ないところなど、市役所の受付と同じです。今度のセミナーでは、ニッポンに戻って、改革すべき点を、たくさん教わりました」

「役所から独立すると、その日から自分でカネ勘定しなければいけません。大変ですよ」

(出典: デイリースポーツ)