日本の常識は、世界の非常識

カナダの森と湖に囲まれたシャトーから下界に下りて、今、中西部プレーリーのど真ん中に位置するアイオワシティに滞在している。万年雪を頂く岩山や樹齢100年を超える針葉樹の森と、地平線をなす大平原が地続きであることが、太平洋に浮かぶゴマ粒のハワイに住んでいると、なかなか納得し難いのだ。アメリカ大陸はとてつもなく広い。

ニッポン各地で病院幹部を勤める人たちを対象にした病院経営セミナーを主宰するため、久しぶりに古巣のアイオワ大学に戻った。街の中心を流れるアイオワ川の両岸に展開する巨大なキャンパスは、いまも 1万名を超えるスタッフや、2万7千名の学生達であふれ、外科教授を退いた4年前と変らぬ風景だ。

1週間のセミナーは、連日早朝から夕方まで、述べ30余名の講師による集中講義と院内見学で、息つく間もないほどのタイトスケジュールだ。そんな週の中日、受講生には、息抜きのため20キロ離れた村を訪れ、ドイツ風家庭料理を体験してもらった。家庭料理のレストランだから、当然、家族連れが多い。周りのテーブルの子供たちは金髪碧眼で、ニッポン人の目には特に愛らしく映る。子供の一人に格別の興味を示した受講生のN氏、カメラ片手に隣のテーブルに近づき、子供の写真を撮らせてほしいと頼んだところ、憤怒の形相をした父親に睨みつけられ、即座に断られた。憮然として席にもどるN氏には、断られた理由が判らない。

「アメリカの親父は、理由もなく家族に接近する他人を、身体を張って追い払い、家長の威厳を保てるのです。一面識もない不気味なオトコ、つまりあなたに、写真を撮らせろといわれたら、即座に断るのが親父というものなのです」「日本の親父なら、100パーセント、喜んで撮らせてくれますがね」「ま、張り倒されずに済んでよかったと思ってください」

ニッポンの常識は、世界の非常識。

(出典: デイリースポーツ)

視点の違い

20カ国から300名もの外科医が参集する国際学会では、学術知見の交換もさることながら、ラウンジでの四方山話が楽しみだ。それぞれが異なる文化圏に住んでいるのだから、視野視点は違って当然。話題はイラク問題から地球温暖化、ニッポンのJR事故に飛んだ。

電車に乗り合わせた電車の運転手が、事故現場を離れて職場に向かったことで責められていると知ったアメリカの外科医は、開口一番、「非難するのは間違いだ」と断言した。

この御仁、救急医療専門医の資格も持っていて、あらゆる事故犠牲者の対処治療に関しては、知る人ぞ知るプロフェッショナルである。

「現代救急医療の原則に従うと、たとえ外科専門医であっても、事故の現場ではCPR(心肺蘇生)と応急止血以上の診療行為はしてはならない。救急車が到着するまで、患者は動かさない、というのが鉄則だ。パニック状態になったシロウトが、犠牲者を抱き起こし抱えて運ぶと、ショックや脊髄損傷など致命的な結果を招く。だから、運転手たちは現場に残ったとしても、何の役にも立たなかった筈だ」

「JRの社員でありながら、現場を離れるとは何ごとか。社員なら現場に留まるのが当然だというのが、二人の運転手を責めるメディアの論点です」

「その論に従うと、その鉄道会社はすべての職員に職場を放棄させて、現場に送りこむべきだったということになる。その結果、電車や新幹線が停まったら大変な混乱を招くだろう」

「それは極論というものです」

「では、境界線を何処に引くのかね。仮に運転手が現場に留まったとすると、二人が運転する予定の電車は動かない。それが混乱の連鎖を招いたら、こんどは誰を責める?危機管理に際しては、感情論で判断や行動してはいけない。こんどの事故の対応を聞くと、わたしには、論より情に重きがあるように思えるね」

「?」

(出典: デイリースポーツ)

ブルーシャトーと野生のサル

いま、カナディアンロッキーの真ん中の、森と湖にかこまれて静かに眠るシャトーに滞在し、この稿を書いている。真っ青な空、澄んだ空気、雪をかぶった鋭い峰、沢を埋める分厚い氷河、そして鏡のようなエメラルド色の湖。ひと昔まえ大ヒットした、ブルーコメッツの「ブルーシャトー」の歌詞そのままの状景だ。湖面に映るシャトーの影を眺めていると、ブルーシャトーの流行った在りし日の想い出が甦る。

先週は、国際学会出席のためバンクーバーで過ごした。太平洋を取り巻く国の持ち回りで年に一度の学会には、今年も20カ国から300人の外科医が参集した。1975年に入会したホノルル大会では、会場で出会う人みんなが大外科医に思えた。それから30年間、殆ど毎年出席し、個人的に手術のコツを問い問われして、多くを学び教えてきた。活動する国は違っていても、毎年会っていると、互いに固い絆で結ばれる。 30年前に出会った外科医の8割方には、もう再び会うことは出来ない。だが、逝った先達から習ったことを、次の世代に教え伝えていくのが残された者の務めだ。情報技術がいくら進んでも、外科の知技の伝承は、人から人への直伝には勝てない。こうして受け継がれてきた知見が、世界でどれほどの幼い生命を救ったか計り知れない。にもかかわらず、日本の病院には、医師の国際学会出席にいい顔をしない幹部がいるところもある。是非、考えを改めてもらいたい。

学会恒例の晩餐会では、遠来の友人と同席もよし、自国の者同士が集まるもよし、各自が選んだテーブルに着くのが伝統だ。ふと気づくと、会長挨拶に続くプログラムのすべてを無視し、私語に熱中する日本の若い医者のテーブルがうるさい。並み居る各国代表の顰蹙を買っているのに知らん顔。あまりの無感性に、注意しかけて止めた。野生のサルには、人の言葉は判らない。哀れだ。

(出典: デイリースポーツ)

患者の丸椅子

先日、久しぶりに友人の外科医を訪ねたら、診療中の外来に案内された。20年前と違って、今の病院の壁や天井には、明るいパステルカラーが使われている。ロビーで順番を待つ患者の椅子も、以前のベンチからソファになった。院内のあちこちには、幾つか絵も掛けられ、花瓶には造花ながら花も生けてある。役所カラーの公立病院とは思えない変り様に、「やれば出来るじゃないの」と内心拍手を送りながら、診察室の扉を開けた。

鉛色をした診察机の上には、これまた灰色のコンピュータが載っていて、スクリーンの電光文字が発する緑色の光が、冷たくデスクの表面を照らしている。ひと昔まえには、医者の診察机の上は、医学雑誌やダイレクトメールが山と積まれ、ペン立てや舌圧子や懐中電灯などが占領した残りわずかなスペースでカルテを書くのが常だった。当時と比べると、コンピュータ以外の余分なものをすべて取り払った机はどこか寒々しい。

ドクター用の高い背もたれに肘掛のついた大ぶりの回転椅子の前に、小さくて背の低い患者用の丸椅子が配置されているのを見て、強く違和感を覚えた。

アメリカの病院では、外来診察室の椅子の配置はニッポンと丸反対。患者用が肘掛つきの豪華な椅子で、ドクター用は背もたれのない丸椅子だ。ドクターは頻繁に立ち座りするからだというが、本当の理由は患者に対する敬意の表現だ。

昔ニッポンで医者をしていたとき、「センセの前でこの丸い椅子に座ると、何をされても仕様がないと諦めるのです」と言った人がいた。丸椅子が背もたれ椅子に向かって、「尊敬も信頼もしていないよ」と叫んでいるように聴こえた。

最近、医療界では患者を「患者様」と呼ぶのが流行だ。気色の悪い呼び方をすれば、信頼されると思うのは思慮浅薄。まず、椅子の取り替えが先決だ。

(出典: デイリースポーツ)

迷える子羊

アイオワ大学病院の外科研修医の定員5席を目指して、毎年50倍もの医学部卒業生が全米から応募する。応募者は、在学中の学業成績や医師国家試験の獲得スコアによって50人ほどに絞り、面接試験のスケジュールをたてる。面接試験は、教授、準教授、講師などスタッフに加え、研修中の研修医や入院中の患者有志など多分野の人が担当する。各応募者は1日のうちに10名をこえる担当者と1対1、15分ほどの持ち時間で面接するため、部屋から部屋へと駆け足で移動する。面接担当者は共通の評価項目に準じて、応募者の人柄を評価し採点する。

ある年、日本からA君という医学生が応募してきた。A君は学業成績もよく、米国の医師国家試験もパスしており、わたしは密かに期待していた。ところが、面接試験のあと、A君の席次は最下位近くまで下がってしまった。そのわけを同僚教授に尋ねてみると、「A君は、自身の将来展望、社会貢献への意識という項目での失点が多い。外科医に『なりたい』というばかりで、外科医になったら、何を『する』という意思表示が不明確で弱い」という答えだった。

A君の失点に象徴される将来設計、目標の立て方には、日米大学生の間に大きな違いがある。アメリカの若者は、まず自身の医師としての将来像を定めた後、目標達成の手段として医学部に入学する。一方、日本の若者は、医学部入学を人生の最終目標として、入試に死力を尽くす。「卒業後は何科をするのかと問うても、判らないと答える医学生たちは、まるで迷える子羊です」と友人の医学部教授が嘆く。「医学部に入りさえすればいい子ちゃんだよ、と親に甘やかされた若者を、あなた方が入試の点数だけで選んだ因果です。日本の大学入試にも面接試験を加えて、将来設計を持たない者は入学拒否したら如何?」と提案した。ちなみに、アメリカの大学には入試というものは存在しない。

(出典: デイリースポーツ)