詰り言葉、責め言葉

晩秋から初冬に変わりゆく季節の移り目は、年中夏のホノルルでは経験できない。朝晩の冷え込みは日ごとに増し、それにつれて山々は黄緑から黄色、やがて濃い紅色へと変わる。濃い緑を背景に描かれた色彩の変化は素晴らしい。清少納言の時代に生きた昔の人はこの有様を、「いとおかし」という短くも的をえた一言で表した。

今月はじめニッポンに来て以来、連日多忙な3週間だった。だが忙中閑あり。過密スケジュールの合間、阿蘇、別府で貴重な2晩を過ごした。火山ガスのほのかに匂う満天の星の下、露天風呂に浸かっていると、いろんな想いが湧いてくる。

このたびは会う人ごとに、いじめに遭って若い命を自ら絶つ中学生の話題を持ちかけてみた。こんなに多くの子どもが自殺に走るのだから、国民全体の最大関心事の筈。きっと誰もが真剣に考えているに違いないと思ったが、人々の反応はあまりに素っ気無かった。家庭内殺人や子どもの自殺が日常的になったせいだろうか。想いめぐらしていると、突然、「00チャン、なにをぼやぼやしているの。早くあがりなさい。晩御飯の時間に遅れても知らないわよ!」隣の女湯から塀越しに、風呂で戯れる子どもを叱る声。聴くとはなしに聴いていると、母親の小言は延々と続いて止まらない。毎日がこれでは、子どもも耐らないだろう。

住んでいると多分気づかないだろうが、いまのニッポンのテレビドラマやバラエティ番組の会話は、なじり言葉、責め言葉、否定語に満ちている。20年前まで住んでいたニッポンには、これほど直裁に他人を傷つける表現が、公共の電波に乗ることはなかった。

現代のニッポン人には、寛容と忍耐が欠けているのでは?この二言はいみじくも、安倍総理大臣の大叔父にあたる佐藤栄作首相の好きな言葉だった。総理、この際リバイバルなさってはみられてはいかがですか?

(出典: デイリースポーツ)

コンド滞在は熟年成田離婚を招く?

「ハワイには2週間ほど滞在の予定だが、今回はコンドで過ごしたいから、適当なのを探して欲しい」というメールは、定年退職間もないQからだった。「ホノルル着の期日を報せよ」と応答したところ、来年1月下旬にカミさんと二人で来るという。

早速ホノルルアドバタイザー紙のバケーションレンタル欄に眼を通してみる。「家具什器付き1DKコンド、週900ドル。共有プール、バーベキューグリル、ガレージあり」というのを見つけてQに報せると、折り返し「1泊300ドルのホテルで2週間、4200ドルの出費を覚悟していたが、コンドなら半分以下の1800ドルで済む。素晴らしい!これに決めた!」と極度興奮状態の返信がきた。

ちょっと待てよ、Qのヤツ、カミさんに相談したのかと訝り「奥方は了承済みなりや?」とたずねたところ、数日後「家内はいま不機嫌の絶頂にある。コンド滞在のハナシは白紙撤回にしてくれ」と報せてきた。

外国でコンドに住んでみる体験は、Qには興奮の極だろうが、奥方にしてみれば、日ごろの暮らしの場がニッポンの自宅からホノルルに移るだけ。ハワイに来てまで、食料や日用品の買い物にスーパー詣、三度の食事の支度やあと片付け、汚れ物の洗濯からベッドメイクまでさせられたら、アホらしや、何のためのハワイ旅行かわからない。おまけにQは旅の荷造りまで奥方にさせる不精男だ。コンド暮らしは断固反対。恋愛中や新婚当初なら、短期間のコンド滞在にはままごとのような新鮮味もあろう。結婚以来一緒に過ごしてきた1万余の退屈な日を、ハワイに来てまで続けさせられると、奥方は黙ってはいない。

熟年男性に謹んで申し上げますが、ハワイではコンドなどに滞在せず、上げ膳据え膳のホテルを予約し、奥方のご機嫌伺いに励むことですな。「成田離婚」は新婚の若者だけとは限りませんぞ。

(出典: デイリースポーツ)

外科医の疲弊は末期症状

先週、全国の外科医5千人が集まる学会から「日本の医療制度への提言」と題する基調講演に招かれた。一口に医療制度といっても間口が広すぎて困る。結局いま全国で問題の「医師不足」をとりあげて講演した。

医者の人口比数は日米でそれほど大差はない。違うのは医者一人が診る患者の数だ。たとえば、米国の大学病院で外科医1人が手術する患者は1年に400人であるのに、国立大学病院の外科医は100例に及ばぬ。この違いのワケを調べてみると、国立大学病院が法人化したあとも続いているX等級X号俸という年功序列の月給制が元凶だ。手がけた手術数が100だろうと400だろうと同じ月給ではやる気がでない。評判の外科医ほど大勢の患者が押しかけてきて死ぬほど忙しい。それでも月給制だから収入は年間1千万円で頭打ち。他科の医者と同じでは不合理だ。

一方、米国の大学病院医師のサラリーは年俸制だ。前年に診た患者数や稼いだ治療費が貢献度として翌年の年俸を決める。プロ野球選手の年俸更改と同じシステムだ。有名外科医になれば全米から患者が押しかけてくる。それに伴い年収は米国大統領の年俸を超える。

外科医は技が売り物のプロだ。技はそれぞれの外科医でレベルが違う。それを無理に同じとみなす月給制はプロにはなじまぬ。

勤務体制も問題だ。人手不足のため、手術で徹夜したの翌日の勤務を替わる交代要員がいない。疲労の極に達した外科医は士気失せ、絶望の淵に立ち懐疑に陥る。こうして優れた外科医が辞めていく。これが日本の医師不足だ。

今度の学会で、なり手の少ない日本の外科医の実情を知り、深刻な危機感を覚えた。米国の医学生も苦労の多い外科を敬遠するが、日本ほど深刻ではない。

いま日本の外科勤務医は疲労困憊、病院医療は崩壊寸前にある。政治家や厚労省のトップの人たち、すぐに手を打たねば手遅れになりますぞ。

(出典: デイリースポーツ)

必須世界史未履修問題

全国高校の10%にあたる540校で、8万3千人の生徒が必須科目である世界史の授業を受けないという前代未聞の事態が発覚した。教師たちは自校生を受験競争に勝たせるために、授業を受験科目に絞り込み必須科目を無駄として省いた。教師、校長、教育委員会の作るシンジケート内部での了解事項だったのが、不運にも明るみに出てしまった。これは教育者にあるまじき愚行である。

加担した教育関係者たちは、本来、欺瞞や隠蔽を邪悪と定義し、それに立ち向かう正義や勇気の価値の何たるかを生徒に教える立場にある。今後は、教壇に立ち生徒に何を説いても、鼻先で笑われるだろう。こんな事態を招いたら、われわれ正常人の感覚では、とても教師を続けてはいられないと思うが、どうなさるか末永く見守ろう。

事態の収拾には文部科学大臣が乗り出した。はじめは未履修単位を完全履修させるというから、教育基本の本質論を展開する文科相でよかったと応援していたら、いつのまにか、70時間の補修授業になり、最後には50時間で決着した。政治家の思惑、関与者の責任、卒業までの期間限定、父兄の懐柔策など、都合あわせの方便に終わって失望した。

もし、これが米国だったら「必須科目未履修の生徒は履修した生徒と比べて、将来学力や教養に有意の差を生じるか?」という根本的な議論が起こる。各地大学から高校教育専門家がオーソリティとして召集され、早急に「有意の差なし」と結論するだろう。この結論を根拠に、生徒は補習授業なしで全員卒業。めでたしだ。

日本だと、履修した生徒の親から「不公平」だとクレームがつく。「公平」は神聖にして犯すべからずという国だから、文科相は「公平」を期して未履修生徒に50時間のペナルティを課した。

ペナルティで思い出したが、偽造論文の教授は処分を受けたかな?

(出典: デイリースポーツ)

大学病院医師の収入

最近の週刊東洋経済(東洋経済新報社)が特集「日本人の全給料」で報じた大学病院医師の収入の、あまりの僅額に愕然とした。医大卒後4年目の医師が大学病院で年収350万円。コンビニのバイト店員とほぼ同額という。

医大に入学すると6年間に私立で2千万から5千万、国公立で350万円の学費が要る。国公私立の区別なく、政府は国庫から医学生一人につき5千万円もの助成金を支出している。

これほどカネをかけて育てた医師を、年収350万円のまま放置しておいていいのか。他院でのバイトで生活費を稼ぎながらでは、患者の生死に全力で立ち向かうのは不可能だ。それでも大学病院に残るのは講師、助教授、教授と昇進を目指すからだが、昇進してもカネの面ではお先真っ暗。講師で年収7百万、助教授で8百万、教授になっても1千万円前後だ。

こんな安月給では暮らせないから、教授以下スタッフ全員が市中病院で、手術謝礼金、代診料、当直料をあてに副業にいそしむ。教授といえば企業でいうなら部長クラス。たとえばソニーの技術部長が、薄給だからといってパナソニックの研究所で時間給の副業をしますか?それに似たことが現実に起きていながら世間も国も知らん顔。日本社会の摩訶不思議さだ。

某大学の医学部教授に薄給のワケを糾してみると、医学部も文学部も教授は同じ文部教官だから、給料も平等に同額なのだという。外科教授は年間何十億円という診療収入を大学病院にもたらす。そんな人物の給料が他の学部の教授と同額なのは理不尽だ。

アメリカで現役外科教授時代、わたしの年俸は大統領よりも多く法学部長の3倍を超えた。妥当な報酬で一層やる気になり、他人様の倍は働いた。

いまニッポンの大学病院はソ連の崩壊前夜に似ている。官僚イデオロギーの呪縛を受けた悪平等制度を打ち破らぬ限り、明るい未来は来ない。

(出典: デイリースポーツ)