ドバイ珍談

「センセ、先週ドバイに行ってエライ目に遭いました」T女史のハナシが面白い。
「何故にドバイなんぞへ?」
「億万長者と結婚したタレントが行くところですから、オンナを魅せるナニかがあると思うのは当たり前でしょ」
「エライ目というのは?」

「関空からの直行便が降りたドバイは砂漠の中のマンハッタンのようでした。作家ご夫妻を含む一行8名はホテルに着いてほっとしました。ほっとすると一杯やりたくなるのは人の常。ラウンジに集合しビール、ワイン、スコッチウイスキーなどそれぞれ好きなものを注文しました。飲んだビールが長旅と緊張で疲れたからだに染み渡っていく快感はなんとも心地よかったです」
「冷たいビールは砂漠の空気に合いますからね」

「さて部屋に引き揚げるかという段になってチェックを貰うとニッポン円で7万2千円ほどでした。2、3杯飲んだだけで一人9千円はエライ高いなといいながら幹事格の人が皆から現地の通貨でお金を集めかけると、店の人がそれは違う、7万2千円は一人分やいいますねん。なんでそうなるんや、なんぼドバイでもこれは暴力バー並やないのと食い下がると、缶ビールが900円、ワインが1本10万円、スコッチは20万円やいいますねん。びっくりしましたがな、もう」

「それはエライ目に遭いましたね。だいぶ前に中東某国に手術しに行った折に聞いたハナシだと、イスラム各国では酒類の持ち込みも飲酒もともに犯罪で、これを犯すと百叩きの刑を受けるそうです。ところが中東にもウラ世界があって、超法規的特権を持つ有力者が仕切っているシンジケートの息の掛かったラウンジなどではご法度の酒を出すのです。Tさんが飲まれたビールやワインは、こうした闇のルートを経由する間に何十倍もの値段に跳ね上がったのですな。ま、百叩きの刑の代わりに高い罰金を払ったと思って、あきらめて下さい」

(出典: デイリースポーツ 2008年3月13日)

身体に合わぬシャツ

今年の2月、21年ぶりに過ごした日本の冬は記憶に残る三寒四温の法則を無視した異常な寒さだった。常夏ハワイに慣れたからだは小雪の舞う大阪の冬に順応しない。からだの熱産生不足分を厚着で補うため量販店に長袖シャツを買いに出かけた。コージュロイのLサイズ長袖シャツはからだにフィットして快適だったが、一度洗濯したらSサイズに縮んでしまった。

それならXLサイズを買って水に通せばLサイズに縮むだろうと考え、再度出向いた量販店で色違いの3着を買った。ところがこの代物、期待に反し洗濯してもXLサイズのままで小さくならない。「レシートは残してあるから、まだ袖を通していない2着を返品すれば引き取ってくれるかな?」家内に尋ねると「だめよ。ここはアメリカじゃないもの」とにべもない。

以前コウベのブティックで求めた高価なドレスを翌日色違いと交換交渉に出かけたわが家内は、それを拒絶する店主との水掛け論に打ち勝ち見事返品に成功した。そのときの不快な体験以来、ニッポンの小売業界を冷ややかな眼差しで見るようになった。

「返品も交換もしてくれないとなると、このシャツどうすればいい?まだ新しいのにこんなにブカブカでは着られないよ」「箪笥の肥やしにするか、サイズの合う人に進呈するかだわね」「モッタイナイ、資源の無駄だ。それに我が家の家計は丸損だよ」
 
アメリカには、店頭通信など販売方法の別なく、売った商品が1ヶ月以内にレシートをつけて返品された場合、業者に返品または交換に無条件に応じるよう厳しく命じた消費者保護法がある。この法律は業者の売り逃げから消費者を護る目的で立法化された。返品や交換は総売上げの2%程度だから、消費者の購買欲を増すための安心料だと思えば安いものだ。ニッポンでも立法化されると消費者保護に加えて資源の節約になるが、その実現は正義が律する社会でなければ困難だろう。

(出典: デイリースポーツ 2008年3月6日)

AO入試と大学教育

九州大学や筑波大学で試行されてきたAO入試を廃止すると先日報じられた。AO入試学生の成績が、従来方式で入学した学生に劣るからだという。従来方式は志望学部の受験成績順に定員数だけ入学させるという誰もが永年慣れ親しんだ受験スタイルだ。単位さえとれば進級し卒業する。

一方、AO入試は米国に2千校ある4年制大学の殆どが採用している方式だ。進学志望者は高校の成績、推薦状、将来展望作文、SATという学力テストのスコアを願書とともに複数大学の入学事務局(AO)に送っておけば、いずれかの大学に入学できる。入学に受験は要らない。

新入生は理系文系の区別なくリベラルアートと呼ぶ教養課程に放り込まれ、その後2年間の学業成績順に志望学部に進級する仕組みだからクラスメートの全員がライバルだ。毎回授業の終わりには試験があるから欠席できない。山のような宿題をかかえた学生達で図書館は連日夜半過ぎまで賑う。この勉強地獄に耐えかねクラスの半分は脱落していく。強い目的意識と克己心を持つ者ののみが勝者として学部に進める。

大学の使命は玉石混交の若者たちの中からホンモノの玉を選別し、これを磨いて社会に役立つオトナに育てることだ。日米両国の大学生を公正な眼で見比べると米国学生のほうがオトナに見える。理由は言うまでもない。受験に受かればいきなり学部に入学させ、全員卒業を目標とするニッポンの大学環境では、鍛えられたオトナは育たない。

一方、脱落の恐怖に耐え抜き過酷なレースに勝って選ばれた者には矜持と責任が自然に身につく。AO入試は脱落者を生んでこそその本領を発揮するが、それはニッポンの「和」の心になじまない。九州大学や筑波大学の果敢な試行が不成功に終わったのは、脱落者を排除する決断をしなかったからだろう。

 (出典: デイリースポーツ 2008年2月28日)

アメリカ文化センター:図書館長の決断

久しぶりに訪れたコウベの街角に立つと様変わりした町の風景の背後から、半世紀まえ貧乏医学生だった頃の思い出が甦える。大学には入ったものの極度の困窮状態にあったわたしは月額千円の授業料が払えなかった。授業料は全額免除にしてもらい、日本育英会から奨学資金を借り受け、家庭教師を2口掛け持ちして生活費を稼ぐという暮らしには、高価な医学教科書を購入する余裕はなかった。

「アメリカ文化センター(ACC)の図書館には全科目の教科書が揃っていて貸し出してくれるで。ただし全部英語やけどな」英会話クラブの先輩が教えてくれた情報はまさに天の声だった。

戦後間もなく、占領下にあったニッポン社会にアメリカ文化を浸透させ米国支持者を育てる目的で、米国政府は各地にACCを開設した。コウベのACCは旧生田警察署の正面にあった。

磨き上げられたリノリュウムの床からアメリカの匂いが立ち上る。図書館の書庫には医学書のセクションがあり、生理学、病理学、内科学、外科学など最新版の教科書がずらりと並んでいた。女性館員は2週毎に更新すれば、同じ教科書を何度でも貸し出すといってくれた。その日から重い教科書を抱えて、2週毎のACC通いが始まった。

半年過ぎた頃の或る日、アメリカンの館長が面接するという。疑心難儀のうちに会ってみると「ACCをフルに活用してくれて有難う。2週毎に教科書の貸し出し更新に通うのは大変だろう。君には特別に貸し出し期間を6ヶ月に延長することにした。しっかり勉強しなさい」と励ましてくれた。嬉しかった。

外国語で医学を学ぶのは大変な苦難である。だがその苦難もアイオワ大学外科教授就任の日、結実を実感することができた。あの日あの図書館長が寛大な決断をしてくれなかったら、その後米国の大学で教鞭をとれたかどうか判らない。ACCのミッションに忠実だったあの図書館長に、いま会ってみたい。

(出典: デイリースポーツ 2008年2月21日)

アメリカの郵便局

アメリカの郵便事業は国営である。だから各市町村の郵便局は連邦政府の末端事務所を兼ねている。たとえばパスポートの発行は連邦政府のビジネスだが、郵便局の窓口で申請書類、顔写真、料金を添えて申し込むと、別の州にある旅券センターで作成した旅券を数週間のちに郵送で届けてくれる。9・11テロ事件以来、旅券発行は特別に審査が厳しくなった。発行には通常6週間ぐらいかかるが、急の海外旅行で早急に入手したいなら、倍額の手数料を納めると1週間以内に間に合う。

ニッポンに滞在している留守の間、ホノルルの我が家宛の郵便物は、ひと月以内だと局留めにできる。留守がひと月以上になると旅先の住所を前もって届けておけば転送してくれる。この転送サービスは、通常は封書に限るが小包その他の郵便物でも指定すれば送ってくれる。広告などのジャンクメールは局員の判断で廃棄処分してもらえる。

そのお蔭で、不在中に我が家に送られてきた各種請求書は2日後にはニッポンに届く。電気、電話、水道代やテレビ料金などは、大阪の住まいに居ながらにして小切手を書き、航空便で送れば支払期限に十分間に合う。

転送サービスに大感激していたら、転送は世界中どこでも無料と聞かされ思わず涙がこぼれた。役所の仕事というものは本来かく在るべきではないか。アメリカの郵便局は住民の不便や負担軽減のためあらゆる努力を試みている。だから民営化の声を聴くことはない。ちなみに国内普通郵便は41セント(45円)、国際航空便は一律84セント(90円)だ(いずれも15グラムまで)。

「転送申込書に社会保障番号記入欄があるのはどうして?」女性局員に尋ねると「転送先から宛先変更などの連絡を受けたとき、本人確認のパスワードに使うのです」 9桁の背番号はここでもアメリカンの日常生活の利便に大きく貢献している。

(出典: デイリースポーツ 2008年2月14日)