ガンは告知、治療の選択は患者まかせでいいのか?

ガンを告知が常識になって20年になる。以前、医者は患者に不治の真実を告げるに偲びず、胃ガンだと胃潰瘍、肺ガンには肺炎などと偽の病名を告げていた。やがて病気の進行悪化に気づいた病人に糾されても、頑としてウソを突き通して善しとした。あるとき僧侶のガン患者から、仏門にある身だから真実を告げられても大丈夫と迫られガンと告げたところ、大層取り乱し「願ったとはいえ、最後までウソを突き通して欲しかった」と悲痛な一言を残して逝かれた。

ガンの告知はアメリカではじまった。肺ガンの患者を肺炎と偽って治療していた患者が、肺炎にしては多額すぎる治療費の請求を不審におもい真実をつきとめて、誤診と詐欺の両方で医者と病院を告訴し、莫大な賠償金をとるのに成功したのが始まりだ。医者は、善意の不告知を裁判所が認めないのなら、診療のすべてをあるがまま患者に知らせ、治療方法も本人の選択に任せると決めた。以来、患者は病状を「知らずにいる権利」と「治療を医師に任す権利」を失った。

友人のYさんは事業家の尊父から10社を超えるビジネスを受け継ぎ、40歳になるかならぬかで、麻酔科医からグループの総師に転じた。身内の一人が或る日胃ガンと診断され、主治医は内視鏡でガンの部分だけ切除するか手術で胃切除するか、今風に判断を患者に丸投げしてきた。困惑した身内から判断を求められたYさん、両方の治療方法を詳しく解説したが、選択は本人にまかせた。側で聴いていた尊父に、「ペテンのような説明をするな。お前も医者なら代わりに決断をしてやれ」と叱られたという。

二人の議論は、選択を患者に委ねる時代に育ったドクターYと、医者は患者にかわって決断するのが当然という尊父との想いの違いだから平行線だ。どちらかと問われると、わたしはYさんの尊父に組する。

(出典: デイリースポーツ)

2001年9月11日

5年前の9月11日朝、テロリストに乗っ取られた2機の旅客機がニューヨークのワールドトレードセンターに突入自爆した丁度そのとき、わたしは家人とともに遅い朝食をとるべく、アイオワシティでいつものレストランにむかっていた。突然、ラジオの音楽が中断し、ツインタワーの一本に飛行機が衝突したと報じた。「高さ400メートルもあれば、セスナやヘリが衝突しても不思議ではないわね」「昔、霧の夜エンパイアーステートビルに爆撃機が衝突したが、建物はびくともしなかったそうだ」という会話を交わしながら、レストランに到着した。

朝食を終えてクルマにもどると、ラジオのアナウンサーが「大型旅客機が突入したビルは火災を起こして崩壊寸前です。これは国家の非常事態です」と興奮している。急いで我が家に戻り、テレビでツインタワーが崩れ落ちるシーンを目にして愕然とした。

消滅したツインタワーの最上階にはウインドウツーザワールド(世界への窓)というレストランがあり、食事中、ライトアップされた雲がテーブルの足元を流れるのが印象的だった。そのレストランでランチの準備をしていたスタッフは、他の3千人とともに一瞬にして生命を失った。

3日のちの9月14日、わたしは38年間の外科医人生の最後を飾る手術を無事にすませ引退した。アイオワ大学病院に勤務した14年間に、アメリカの将来を担う4千人のこども達の生死に関わる手術を行った。助けた4千の幼い生命を、ツインタワーで一瞬にして失われた3千人と対比すると、14年間の仕事は空しい。

いま世界は憎悪に発した暴力とその報復のスパイラルに陥っている。数々の疾病を克服し、手術の技を開発してきた人間の能力は素晴らしい。だが同時に、救った生命を殲滅する手段の開発実施にも励んでいる。これは実に愚かなことではないのか。

(出典: デイリースポーツ)

情や都合で動くニッポン

久しぶりにニッポンの病院で、教育回診に招かれた。今年医学部を卒業したという女性研修医が、まだ新しい聴診器を耳にかけて患者の胸を聴診する。その姿を見ると、40数年前に、初めて患者の体に触れて緊張した頃を思い出す。

感傷から覚めてふと気づくと、研修医は患者の着衣の上から胸に聴診器を当てている。

病室の外に出て「いま聴診器で何を聞くつもりだったの?」と尋ねると、「呼吸音です」と答える。「寝間着の上からだと摩擦音がしてよく聞こえないだろう?」「はい」「それなら、どうして寝間着を脱いでもらわないの?」「患者さんの中には裸を嫌がる人もいるのです」「そこを説得するのがプロの医者だ。患者さんを診るフリをするのは欺瞞だよ」「でも、患者さんは一応満足していますから」「シロウトの患者さんにへつらってどうするの。キミは病気を治すプロの医者になるんだろ」

次の部屋では腹部触診をするのを見たが、まるで餅をこね回すような手つきで患者の腹をなでまわす。何を触れ何を探索しようとしているのか、背後にある思考が理解できない。隣の患者の膝蓋腱反射を調べてみろと指導医に命じられたこの女医さん、右手を握って拳骨をつくり、それで膝蓋腱をヒットした。腱反射を調べる道具がなければ、行ってとってくるのが段取りというものだ。

あまりの非常識に、側に立つている研修指導医にワケを糾してみると、「今の若い子はきつく指導するとむくれたり、すねたりするので困るのです」だと。「そんな稚拙な未熟人間を医者に仕立てて、一体どうすんだ!」と口から飛び出しかけた。

アイオワ大学病院にこんな研修医や指導医がいたら両者とも即日解雇だ。指導医は研修医を育てるのと同時に、ダメ医者を社会から排除する義務を持つ。それが医師育成の原理原則。都合や情で動いてはいけない。

(出典: デイリースポーツ)

『成金』と『大金持ち』は紙一重

テレビが放映する「ニッポンの大金持ち」というドキュメンタリー番組を観た。あるファミリーは東京近郊の田園地帯で代々農業を営んできた。ところが都市化の波が押し寄せ、先祖伝来の土地の価格は暴騰した。地所の一部を売った大金で残りの土地にマンションや駐車場を建設経営している成金長者のストーリーだった。

俄か成金になったファミリーの長男は、会社務めをやめて一家の資産管理の専業についた。30歳過ぎのこの男、レポーターの「このポルシェ、幾らしました?」という問いかけにもクルマを無心に磨きながら答える。「1500万円でした。これと別に家族には一人一台づつクルマを持たせています」と得意の表情。ホントウの『大金持ち』なら自分でクルマ掃除などしない筈。どこか違和感を覚える風景だった。この成金一家も、地道に不動産業を営んでいるうちは安泰だ。そのうち、先物買いの相場をすすめにくるワルイ奴の甘言に乗って、資産のすべてを失うことの無いよう祈る。

ある時、ニッポンからホノルル訪問中の自称『大金持ち』と、市内の高級レストランで会食した。この店は入り口でクルマを落とすと、5ドルほどのチップで、ボーイが駐車してくれるバレーサービスが売りものだ。

ディナーが終わり店の出口で待っていると、ボーイが駐車場からクルマを廻してくれる。この『大金持ち』、5ドルの代わりに3ドルをボーイに手渡すのをしかと見届けた。「サー、5ドルの約束ですが」「5 ドルは高いよ。3ドルに負けておきなよ」ボーイの顔から笑顔が消えた。しばし無言の間を置いて「ま、仕方がないか。はい、2ドル追加」

振り向くと「ちょっとクルマを動かすのに5ドルもぼったくるなんて、腹が立って我慢なりませんな」と苦笑する。

『成金』がここで地金を出した。思い出してもむかつく夜だった。

(出典: デイリースポーツ)

米国セクハラ事情

「おっ髪が短くなったね。ますます素敵だよ」
「あら課長さん、ありがとうございます」

月曜日の朝、週末にヘアサロンにいってきた部下の女性職員の変身ぶりを目ざとく気づいた男性上司が褒め言葉をかける。ニッポンの職場では日常的に聞かれる、上司と部下の微笑ましい会話だ。

「Hさん、アメリカだと、この課長の言葉はセクハラになるのですよ。もし女性職員が訴訟をおこしたら、課長は裁判で完敗です」
「えっ、ほんまでっか。服装や髪型がエエなあ、綺麗やなあと褒めてやってどこが悪いのでっか。それがアカンといわれるのやったら、部下とハナシも出来まへんな」

場所はホノルルのレストラン。今度ハワイで新しく始めるビジネスの準備を進めている大阪のHさんに、セクハラ予防の進講をしたときの会話だ。

「最近きれいになったなとか、いつまでも若いなとか、ワシはいつでもウチの女の子に言うてまっせ。これは『ワシはあんたらのこといつも気に掛けてるで』という思いの表現ですがな。ウチの職場はこれで人間関係を保ってますねん」
「それは大阪だけのことにしておいてくださいよ。アメリカでは、上司が部下の容姿、年齢、着衣、持ち物、趣味、恋愛などに関心を持つのは勝手ですが、それを表に出してはいけないことになっているのです」
「ワシには理解できませんな」
「たとえば、Hさんに『綺麗になったな』と言ってもらった女子社員が、内心では『社長にわたしの容姿がどうのこうの言うて欲しないわ』と思っていたらどうします。Hさんは、この女性の聖域を侵したことになります」
「それは屁理屈というもんでっせ。ワシの言うてることは常識ですがな」
「それに、『いつまでも若いな』というのは年齢差別といわれますよ。会社がスタートしたら、くれぐれも、口害に気をつけてくださいよ」

(出典: デイリースポーツ)